Saturday, August 27, 2016

中近東料理ファラフェル

気温25度。さわやかな土曜日

隣人は日本びいきのレバノン人の70代のご夫婦。1980年代に日本を訪ねている。
昨日、おじさんがこれ作ったばかりのおすそ分けとファラフェルをもってきてくれた。ファラフェルは、ファバビーンとチックピーのおまめをにてニンニクと香辛料で混ぜてあげたもの。ヴェジタリアン料理である。その直後に、おばさんが、ドアをトントンとやってきて、食べ方教えてあげるから、ちょっといらっしゃいって。トルティアにトマト、キュウリ、レタス等と一緒にはさめて食べるよのって。そして、食べてみてって。そのときに、壊れていた型取り器を目の前ではんだ付けしてわたしにくれた。なんとメイドインシリアとアラビア語で書いてあるらしい。おばさんたちは、へら付きの銅製の型取り器をもっていた(これはエジプト製とのこと)。今度作るときは、習いたいから一緒に作らせてとお願いした。これから、こうした行き来が続きそう。習いたい中近東料理はいくつかあるのだ。

ファラフェル



土曜日の午前中に近くの森を歩く。ボートクラブの人たちがひきあげはじめていた。

ボートクラブで。ローリングシェルというボートとのこと(ひっくりかえしてかわかしている)


ワックスウィングをとらえる

Tuesday, July 12, 2016

Gareth Malone ギャレスマローン

気温32度。暑いです。

10日に日曜日、昨年に続き、いとこたちとナイアガラでピクニックとサイクリング。16㎞ほど自転車に乗ったとの結果。この日も暑かった。

そして、その日曜日の夜、Gareth Maloneの職場で歌おうのドキュメンタリーをテレビで見る。彼のことは全く知らなかったけれど、Dr.Whoの風貌のチャーミングな合唱指導者。料理人ジェイミーオリバーの合唱指揮者版といったところ。

10日の日は、イギリスのP & O Doverフェリーの乗務員等による合唱団結成、そして、コンサートへ至る話。

ということで、YouTubeに行くと、あるわ、あるわ、いっぱいあります。下記は、おすすめのもの。感動もんです。

1. Unsung Town: 音楽とは疎遠な街での合唱団結成とコンサートストーリー(私に住んでいる街もこんな感じかも)。地元の人達のつながりを作るのが見事!
これは、日本でもNHKで放映されたよう。

2. Military Wives’ Choir:軍人の妻たちの合唱団。基地でただただ夫の無事の帰国を待つ妻たちを奮起させたストーリー。予期せぬ素晴らしい大成功をおさめる。涙なしでは見られません。


ギャレスのアプローチは、現場主義、ゴール主導型。地元に入り込み、合唱団を結成するや、メンバーに目標を明確にする。つまり、いつ、どこでコンサートをすると宣言し、メンバーの士気を高める。それは、美しい教会であったり、ロンドンのコンサートホールだったり。もちろん、その途中には、紆余曲折あり。

人間は、“歌う”ということに喜びを感じるように作られたんだなぁと、あらためて認識したという感じ。。彼は、そうした喜びを、歌うということから全く疎遠な人々からうまく引き出すわけ。

ということで、数時間ギャレスのドキュメンタリーにはまってます。男子校の合唱スタンドバイミーの発表会のもいいです。これは6分強のもの


ということで、友人達にもおしつけがましく同じメールで宣伝。



乗馬クラブのグループとすれ違う。脇道にいるのはいとこのAと彼女のパートナーのV



Thursday, June 23, 2016

バスルームの改造 新しいトイレと壁タイル

昨日まで32度のムシムシ。今日は、24度で湿気がふっとんだ

新しいトイレと壁タイルが完成。トイレの形、特にタンクのくびれのラインと便座の足のラインがかっこいい。水は、2つのレバーにより大と小で流れる量を調整する。壁タイルは、サブウェイタイルという一番シンプルなデザイン。地下鉄の壁に使われているタイルの形からきている。




壁タイル担当のラザロは、休暇から帰ったばかりということで、トラックに大きなスズキのバイクをのせていた。すごく大きい。毎年、今の時期と秋に、バージニアやサウスカロライナにバイク仲間と集まり、ツーリングするそうだ。特にブルーリッジパークウェイという全長約750㎞にわたるコースを部分的にまたは全長走るらしい。有名な風光明媚なコースで、秋の写真など見せてくれた。彼は、90年にハンガリーから移住。タイル張りの技術は、一時期フロリダで友人宅に滞在していたときに身に着けたということ。我々の部屋に入るなり、台所の壁のタイルをみて、「これ、僕やったよ」って。この台所の壁タイルはかなり評判がいい。他に見積もりを取った時、他の業者がこれ、いい仕事だねってほめていた。ということで、今回のタイルも、かなりシンプルなタイルだけど、我々は大満足。翌日、別の仕事の合間に、コーキングにきて仕事を完成させた。そのときに、別の仕事の写真をチラリと見せてくれた。暖炉の周りのタイルはりで、複雑な形をした紺碧のタイルだった。かなり高価なものとのこと。

翌日、マークに、「マークもバイクに乗るの?」って聞いたら、「乗るよ」って。「僕のも、スズキのバイクだけと(モデル1000とかなんとか)、ラザロは絶対僕に追いつくことのできないスポーツタイプだよ。」って。

彼らは、同業者仲間のお友達である。

ブ―リッジパークウェイは、ルーズベルト大統領がニューディール政策のもとに実施したものらしい。完成に50年あまりかかったようだ。

http://www.blueridgeparkway.org/

Friday, June 17, 2016

バスルームの改造:人をコンランさせる?

6月13日からいよいよバスルームの改造を始めた。この3年ほど、いつも会話に上っていたけれどズルズルとやらずにいた。問題は、水の使用量の多い旧型トイレと洗面台の蛇口からちょぼちょぼと流れはじめた水漏れ。

ということで、月曜日から業者のマークが毎日来ている。
マークは2mにとどくくらいの長身のドイツ系カナダ人。野球みてる?って話かけたら、今は、ヨーロッパサッカーリーグに熱中しているとのこと。もちろん、ドイツを応援。

ただ、マークは、一日中家にいる私を不思議に思っている。

「ご主人は何してるの?」
これは、私達の小さなユニットをみて、亭主の稼ぎ(稼ぎが少ない?)を思ったのか。それとも、一日中家にいる私をみて、亭主の稼ぎ(稼ぎが多い?)を思ったのか。明らかに、就労年齢層に属すると見える私が、ずっとテレビもラジオもかけず、電話もかかってこず、かけもせず、まんじりと、家の中で新聞読んだり、コンピューターで調べものした
りしている私を不思議に思っている。

水曜日にマークの仕事中にピアノの練習をした。

マーク:「そうか、ピアニストなんだ。ピアノの先生しているんだね」。
私:「とんでもない。レッスン受けているだけ。教えてなんかいないよ。」

明らかに、さっさと「退職したんだよ」って言えばいい話なんだけれど、そうすると、お決まりの会話になるだけなので(年齢とか、そんな歳に見えないとか、等々)つまらない。

ということで、今度、アクリリックペインティングなんかをマークの作業中にやり始めたら、彼、ますます混乱するだろうなぁ~。今度は、「画家なの??」なんてとんでもない想像をするかも。
バスタブの壁のタイルをはがしたあと。


遺灰を墓地に納める

晴れ、週末は29度まで気温が上がる

Gのお父さんとお母さんの納骨を彼らの結婚記念日の6月10日に行った。風が若干強かったものの快晴で、バグパイパーの後に従って歩いた。

お母さんは10年ほど前に亡くなり、お父さんがその遺灰を大事に遺灰を入れる30x25x10㎝くらいの木の箱に保存していた。お父さんが亡くなり、遺灰を一緒にいれて墓地に納めるという本人の遺書に従う。本人たちは葬儀を希望していなかったので葬儀はなし。

お父さんは、亡くなる前にこの場所を購入した

お父さんは第二次世界大戦に従軍したため、在郷軍陣会の人達が進行役を務めてくれた。途中、カナダの国歌とイギリスの国歌を歌う。その音楽担当が下の写真の赤いたすきのおじさん。市場第一モデルともいえるべき70年代の小さなカセットテープレコーダーをかける。どのボタンを押すかちょっとためらいながら。。もちろんデジタルではないので、しばらくみな、し~んと前奏が始まるのを待つという貴重な経験。かなり弱弱しく立っていたけれど、遺灰に向かうときは、兵士そのものの直立歩行で向かい、立ち止まって敬礼した。素晴らしかった。

このあと在郷軍人会の集会場で軽いランチで故人をしのんだ。話題の一つにこのテープレコーダーの話が出たのは当然のこと。。小さなCDプレーヤーを寄付しようかという発言もあったけれど、多分使いこなせないだろうな、、という結論に至った。


Wednesday, June 08, 2016

ヤニックネゼセグイン、メットオペラの音楽監督に就任決定

曇り、今日の最高気温は18度と週末までかなり肌寒い

ゼネセグインのメットオペラ音楽監督就任が決まった。カナダの全国紙が、カナダ人指揮者がメットオペラの音楽監督に就任する!っと一面で報道した

偶然彼を地元交響楽団のゲスト指揮者として来たときにみて、素人目からも、なんだかすごくいい!っと感じたのが10年ほど前だろうか。小柄だけど、迫力満点。その後、プラハに行ったときも、彼がゲスト指揮者として演奏するという広告をみた。そして、メットでも数回指揮をしていて、ますます躍進しているなぁ~とずっと思っていた。

現在、フィラデルフィア交響楽団の音楽監督に就任していて、彼が来てから、今まで同交響楽団が演奏したことのない曲目を定期演奏会に必ず入れるなどして、かなり観客動員数を増やしたそうだ。

ただ、メットオペラでは、総監督のピーターグレブが彼の上にいるので、どこまでゼネセグインの革新的なアイディアを取り入れることができるか、というのが批評家たちの話題だ。

鷹が教会の塔にとまる


Monday, May 02, 2016

ピアノのお稽古 その3

晴れくもり。肌寒い。、シーズン最後のメットオペラも土曜日でおわっちゃった。今シーズンは10年目。早いなぁ~

相変わらずピアノの練習に余念がない。検定試験に向けて、課題曲はほぼマスターしたものの、慣れぬテクニカルテストに向けての音階練習やイアトレーニングも始めた。これがなかなか難しい

試験日までまだ先が長いので、今、アルゼンチンタンゴの巨匠、ピアソラの曲練習中。いいねぇ~。

昔のピアノの先生が、私が今こんなにピアノの練習を楽しんでやっていることを知ったら、先生泣いて喜ぶと思う。



先日、お気に入りのコーヒー豆を買いに。この町には、19世紀末に建てられた建築が博物館となって保存されている


Thursday, April 14, 2016

銀行員との会話

晴れ、これから徐々に気温が上がる予報。今日は5度。球根がやっと芽生えてきた。近隣の街へドライブし散策する。

退職してから、2度ほど銀行に行った。担当の銀行員はベトナム系カナダ人カナダ生まれの20代の女性。退職すると、時間に余裕ができて、あわただしく仕事後の夜の予約や、週末の予約をする必要がない。ということで、比較的ヒマな昼間の時間のアポとなる。となると、お互いのんびりしていてくつろいだ話題がでてくる。

2月の春節の頃

私   「赤い封筒もらった(お金がはいっている、日本のお年玉)?」

彼女 「それがね、兄は今年30歳(未婚)、私も未婚。父が、お前たちの歳の頃には、お父さん達は家庭を持っていた。ところが、なんだ。お前たちは、まだふらふらして。自分の子供に赤い封筒をやる歳になっているのに。。。。しかるに、お前たちにはもう赤い封筒を上げない。っていって、今年から突然くれなくなったのよ~。」

私  「海外旅行ばかりできるわけじゃないし、近くの自然保護地を散策して楽しんでいるよ。もう少し、若かったら、キャンプとかもっとやるんだけどね。テントで寝るの結構好きだし」

彼女 「私あんまりキャンプしたことないの。親にね、小さい時、なんで夏休みとかのサマーキャンプに参加させてくれなかったの?って聞いたら、父が、自分は難民キャンプの経験がある。あんな経験を子供にさせるつもりは毛頭なかっただって」

3月に訪ねた頃

彼女 「あのあと(2月にあった時に、退職後はピアノの練習するという話をした)、親にね、なんで私にピアノのレッスン受けさせてくれなかったの?って聞いたの。そしたら、お前、別に音楽に興味示していなかったし、ピアノを置く場所なんてなかった。じゃ、バイオリンっていう手もあったんじゃない?って言ったら、お前、バイオリンがいくらするのか知っているのか?って言われたって。

移民の第一世代は、ゼロからのスタート。次世代の子供は、すっかりカナダ人となって育つ。

1847年創業の鉄工所ビル。1882年に建築された。今は薬局や開業医のオフィスとなっている。










Monday, April 11, 2016

スーパーマンのカップ

しばらく使っているお気に入りのコーヒー・紅茶カップ。4つのうち一つがわれ、二つがかけ、残り一つに。機会のあるごとにカップを探していたけれど、なかなか面白いもの気に入ったものが見つからずにいた。

そうして見つけたのがこのスーパーマンカップ。Gがスーパーマンの特別のファンということではないけれど、誕生日プレゼントにもいいかもっと買っちゃった。以下はカップの箱の写真。傑作よん。

ちなみにスーパーマンは1938年にデビュー。カナダ人のJoe Shuster の手によって生まれた。

見ての通り黄色のカップでクラシックから現代版の8人のスーパーマンが並ぶ

左はじの1940年代のスーパーマンが近所のちょっと力のあるおにいさん風で好き。

80年代のスーパーマンは映画のクリストファーリーブを意識してる感じ。それ以降は、ステロイド版スーパーマン、
暗~い雰囲気もでてきている



コンドの駐車場

Gの次女Kが4月初めの週末滞在した。

わがコンドは1ベッドルームということで地下駐車場スペースは1つしかない。約120世帯収容のコンドで2つ駐車場のある世帯は20~30のようで、頻繁に駐車場求むのメモが掲示板に張られる。
我々も駐車場スペースを一つ借りている。ところが、その大家さんのジョーンが亡くなり、彼女のユニットが3月から売りに出されている。ということで、売れたら、我々は駐車場が一つしかなくなるという状況に。

ただ、私たちには他の選択肢もあって、退職した私はしいて車はいらないという選択。私としても、バスと歩きで用事を済ませることが可能だと思っている。ガス代、メンテ、保険料等考えると年間数千ドルの節約にもなるし。必要であれば、Gを会社まで送って行って,その間用事を済ませ帰りに迎えに行くという手もある。とにかく、車はあれば便利、でも、なくてもどうにかなるということ。多少の不便はあっても、退職したことによって、そのペースに自分の生活を合わせることが可能な状況になったともいえる。マルチタスクからシングルタスクへということかな。図書館まで歩いたら片道45分、往復1時間半。バスを利用するという手もあるしね。

とは、いいつつ、管理人のおじさんに誰か心当たりはないかと聞いていた。4月になり、冬の間フロリダに滞在していたポルトガル人のサントスがこんがり灼けて帰国。彼は2つ車を持っていて(一台はコルベット)、去年そのコルベットを手放した後、誰もそこに駐車していないのを知っていた。早速聞いてみたところ、彼もそこをヘレンから借りていたとのこと。そして、ヘレンが亡くなり(コンドの住人は高齢のため毎年誰か彼か亡くなる)、ヘレンの息子が部屋を管理しているようだけど、駐車場のことまで気が付いていないに違いないとのこと。そうしたら、サントスが、「マリアがいるよ。僕に任せろ」って。すると、その日のうちにマリアの駐車場を借りることに決定した。70代前半のポルトガル人のマリアは、ちょっとした事故を3度ほど起こしたため保険料が飛び上がり、車を手放すことにしたとのこと。

このコンドの世帯数に対して駐車場の数が適切かという議論が時たまでてくるけれど、ある意味絶妙のバランスを保っているともいえる。

ということで、Gのポンコツ車が廃車にならない限り、あと2年Gが退職するまでは、引き続きお互い車をもつことに。ホッとしたと同時に、車無し生活へのチャレンジをくじかれたような気もしないでもないかな。



少し寒い自然保護地の散歩。ハクチョウのもとに、さぎが飛んできたけれど、カメラをむけたらさぎはとんでいっちゃった






Wednesday, April 06, 2016

早期退職達成

2016年3月1日付で早期退職した。有給休暇消化等で、出勤最終日は2月2日。

出勤しなくなってから早や2か月。

今までの退職者の中には、お別れの挨拶を皆の前でしたくないとかで、個々にお別れを言って去るという選択をした人たちがいた。ということで、私の上司も気を使って、お別れ会とかやりたいか?と聞くので、私は「全部やりたい!」って返事した。私としては、日本を離れ、カナダにやってきて働いて、これは、自分の人生の大切な一区切りだと強く感じていたから。

1月29日金曜日:同じ課のメンバー全員での持ちよりランチ
持ち寄りランチだと、仕事の後の夜の集まりに参加できない子供のいる同僚(長年の同僚)も含め全員が顔をそろえることができる。そこで、みんなでお昼しよう!と提案した。これは、ほんとに楽しい。当日まで、みな何を作るのか話題になるし、メニューが偏らないようにスプレッドシートに何を作るか記入したり。男の人もお料理するので、彼らも腕の見せ所ということで頑張る。インド人の同僚のもってきたシュリンプライス、チキンフライは格別。ティラミス、タコス、キノアサラダと盛りだくさん。上司のGは職場をこっそり抜け出して、お寿司(お寿司もどきのお寿司)を買ってきてくれた。これは、私のことを考えた末に出た結論なんだろうな~と思うとジーンときた。

2月1日月曜日
お昼は、日本人の女の子たちと持ち寄りランチ。お赤飯もでてきた。現地採用の日本人女子の数は私が去ると4人。この間まで7人いたから約半分になるというのは寂しいもの。世代を隔てていても、ベタベタするでもなく(もしくはベタベタしなかったからか)仲良し仲間でいられたのは素晴らしいと思う。皆、やるとなったら、全力を尽くすというガッツのある仲間。

夜は、仕事の後数人でバーへ。既に退職したTも来てくれた。7時過ぎまでビールをのんでおしゃべり。話題は、僕も、私も、あと数年、という話題。退職したTは、最近の他の退職者との交流を語る。月に一度くらい、お茶のみ交流をやっているよう。また、彼らのブレインを利用するインフォーマルな会合もあるよう。

2月2日火曜日:出勤最後の日

ここ数年、退職者が定期的にでるので、会社もお別れコーヒーパッケージなるものを用意している。コーヒー、紅茶にプチケーキなるものが予算で賄われる。通常、お昼時間の後の12時45分に始まるところ、部長補佐の会議の都合で、8時45分に始まる。さっさと挨拶を終わらすことができるので、わたしとしては、よかった~。

上司の挨拶:
昨年春に人員計画プランをこっそり見せたら、私が、「もう、疲れたヨ」って言ったという話を披露(確かに、その時には、私の中では既に退職を決めていた)。そして、サマリーペーパーを要求すれば、1時間以内に出てきた。こんな機械がほしいなんて、ほめほめのお言葉。

私の挨拶:
1989年にカナダの美しい街モントリオールに学生としてやってきた。当時、ケンブリッジなんて街に将来たどりつくなんて誰が予想したことか。ある時、失業、交通事故、離婚、この3つを経験すれば、あなたも立派なカナダ人、という記事をよんだ。この全てを経験した私は、いったいどれだけカナダ人になっただろうか。みんな本当にありがとう。みんなの友情、思いやり、そして忍耐力に心から感謝。

その後、みんなと握手にハグ。カナダ人のHは、私の挨拶に対して、私も2つ経験したけれど、どれだけカナダ人かわらないわって。

他の部に移動したLは、私の退職決断について、いつも優しい言葉をかけてくれた。みんな本当に羨んでいるわよって。まだ若いし、その決断力に、そして、とってもいい人だからって。。なんて嬉しい言葉。

1時過ぎに、身の回りをさっさと片づけてバイバイ。歩き始めると、仲間から、自然と拍手が沸き上がり、バイバイと手を振ってくれ、通路が花道みたいに。。感激。。

家に着いたのが2時過ぎ。ホントにどっと疲れた。感動極まる日で、これ以上の感動は、今日は御免こうむります、という感じで、もらったカードすら読めず。同僚がメールで今晩は思い切りハメを外して下さいって送ってくれたけれど、それどころか、ほんとに疲れて10時前に就寝した。。

この職場での16年間、いろいろなことがあったけれど、ま、最後良ければ全て良しってことね。チョンチョン。メデタシ、めでたし。

外は、また雪模様


Wednesday, March 30, 2016

「靴の話」大岡昇平を読む

2016年3月30日  先週末はイースター。友人の別荘とGの長女を訪ねる。出発した24日は霙から大雪になり、その夜はこの冬最後と思われる大吹雪。

語注、解説、鑑賞、年譜が、戦争体験を理解するのに大いに役立った。こんな話を書くことのできる戦争体験小説家はもういないのでしょうね。となると、過去の作品を読むしかないということか。。裏表紙に、戦争の中での個人とは何か。戦場における人間の可能性を問う、、と書かれている。アメリカ兵を目前にして射たなかったのはなぜかという心理描写、そして若い衛生兵が殺される「襲撃」、,うぅぅぅ~、ここまで自分を追いつめるか、、ここまで書くのか。。。

「捉まるまで」を読んでいると、並行して読んでいる「ロビンソンクルーソー」の話題がでてきた。脱出計画をSと練っているときで、ロビンソンクルーソーの孤島でのサバイバル体験に当てはめたようだ。解説によると、1919年、大岡昇平が10歳の時に原因不明の高熱で入院し、その入院中に乱読したものと一つとある。

友人の別荘にて。新雪の足跡 
札幌に住む友人のいうスノーエンジェルというものを新雪でやってみた



Friday, March 18, 2016

西加奈子、マークトウェイン、梨木香歩を読む

先週は17度まで気温があがり、雪が消える。終末の最低気温は氷点下だけど最高気温は9度まで上がる予報。記録的な暖冬

「ふくわらい」、「サラバ!」、「トムソーヤーの冒険」、そして「冬虫夏草」を読む。

やっぱり梨木香歩はいいな~。語彙が豊かで文章がきれい。読んでいると、自分の無知からか、いったいどこまでが本当に存在する話なんだろう、、と。物語にすいこまれて、滝の名前や植物の名前を検索してみた。そうしたら、みな存在するもの。鈴鹿山中の滝のあたりは、ちょっとした秘境となっているよう。今度行ってみたい!

「ふくわらい」のレスラーの話は、2008年のミッキーローク主演の映画「レスラー」に似ていたな。全ての登場人物がとても自意識過剰という印象。それが故に余計に人生を模索しているって感じがしたけど。。。そんなもんかな?話と文章は、ちょっとグロテスクで暴力的で、疲れた。。。ホテルニューハンプシャーの影響を受けているのは確かね。。エジプト時代の話が一番読んでいて心休まるところ。

「トムソーヤーの冒険」は、単語に苦戦し、辞書で調べながら読破。なんたってトムとハックの冒険による事件の成り行きが傑で、読んでいてわくわく。話の筋は子供向けかもしれないけれど、その時代背景が読み取れとっても興味深い。これはどういうこと?っと毎日のように質問する。

ということで、次は「ロビンソンクルーソー」と大岡昇平(なんて組み合わせ!)
図書館から借りてきたロビンソンクルーソーはフランクリンライブラリー出版の名作100選というハードカバーの本。イラストもオリジナルの木版をベースにしたものとある。


1719年初版の表紙の再生。ちょっとした話の概要がかかれている
拍子


Monday, February 29, 2016

ピアノのお稽古その2 効率的な練習方法とは?

2月27日、晴れ、風強し。明日の日曜日は10度まで気温が上がる予報

オーウェン先生とのピアノのレッスンが始まった。ロイヤルコンサーバトリーのピアノ検定試験を受けてみたいという意思表示をしたところ、ガンガンやりたい?それとも、ま、ゆっくり?と聞かれ、ガンガンがどれほどのものか想像がつかないので、ま、適当に様子を見てということに。ピアノ検定試験は年に3回ほど予定されているようなので、受ける日程はまだ未定。

子供の頃とは全く違って、家での練習は楽しく、あっという間に時間が過ぎる。

友人の子供が高校生の時に、検定試験最高レベルの演奏家レベルに受かった。どうやって練習していたのかと聞くと、母親曰く、効率的にやっていたという。さて、効率的とは、、と聞いてみると
1.弱点のところを集中して練習する
2.片手づつ練習する
3.ゆっくり繰り返して練習する

この話をオーウェン先生ともしてみた。
1.小曲でもひととおり弾くと2分かかる。これを5回弾くと10分。それよりも、弱点のところを10秒10回繰り返す方がよい(100秒で1分40秒)。確かにうまく弾けるところを弾いていると気分は演奏家気分だけど、そんなところに時間を費やすなってことね。
2.暗譜の練習も、曲の終わりから始めるとか、小刻みに途中からやるといいとのこと。そうすると、音楽の途中の流れにもはいっていきやすくなる。暗譜がうまくいっているときは、指の筋肉が指の動きを覚えているため、無意識にでも暗譜で弾いているけれど、暗譜にいきづまると、あれ、どこだっけ???と全くどこをひいているのかわからなくなるものね。
3.1時間の練習じゃその日の練習成果がでない、というと。そうだね~、ボクも学生のときは、1時間はあっという間で、それが精いっぱいの集中力だったと。。だから、午前中と午後と分けて練習するといいよ、という、最もな回答でした。

遠くにトロントのスカイスクレイパーがぼんやりと

風があるものの、午後は16度まで気温があがる



Tuesday, February 23, 2016

ピアノの先生を探す

土曜日の雨ですっかり雪がとける

ピアノのレッスンを始めた。

この地域で教える先生ということで検索すると、それはそれはピンキリ。最初に会いに行った若い先生は大人シニア対象のピアノ教師とのこと。教室は彼の両親の自宅の地下をスタジオとして使っている。ピアノはハープシコードかと思うような音のアップライトピアノ。次回までの練習項目をノートに書いてくれるという感じの良い先生だったけれど、ちょっと遠いので一度会って断った。

次に尋ねたのは、地元の音楽教室。ピアノのみならず、ギターやドラムとなんでもこいの音楽教室で、子供音楽教室の感があり、どちらかというと音楽教室の経営に力を注ぐのに精一杯という感じ(経営は大変そうにみえた。。)

そして、出会ったのがオーウェン先生。音楽教室のある建物と同じ階に彼のスタジオがある。実は、廊下で音楽教室が開くのを待っていて、うろうろしたら彼のスタジオに行き着いた次第。スタジオに入ると、まず小さな待合室があり、2つ椅子と、コートかけ、そして、靴置き場。ピアノは1920年のヘーゼルナッツ色のベイビーグランドピアノ。

こうしてみると、子供の頃通っていた先生のお宅が何て素晴らしい環境だったのかということに始めて気が付いた。ピアノはヤマハのグランドピアノだったし、お部屋には珍しいペチカがあり、ソファの横にはサザエさん、意地悪ばあさんが本棚にぎっしり。時々、孫悟空のコミックの登場人物の顔を描いたクッキーがあったのも覚えている。ピアノ教室の環境はこうしたものだと思い込んでいたので、その雲泥の違いに落胆と驚き。。。

友人の子供がヤマハ音楽教室で習っているという。ソルフェージュで教えるのでドレミでできると喜んでいた。まだ、初級ということもあるけれど、家でも教室でもピアノではなくキーボードで習っているという。ピアノを買った方がいいですか、と聞くと、まだ、いいわよ~という返事とのこと。日本だと、ピアノが先にありきだけど、こちらはキーボードで習うのでもピアノ教室とよぶことに問題ないみたいね。

Tuesday, February 16, 2016

バレンタインデー、トムソーヤーの冒険を読み始める

バレンタインデーは今年一番の冷え込み

図書館からトムソーヤーの冒険を借りてきた。「はじめに」で、マークトウェインが、この本は主に少年少女向けに書いたものだけれど、大人の人たちも十分に楽しんでもらいたい。そして、自分たちもかつては子供たっだということを、その頃の自分達が何を感じ、考え、話していたかを、そのやんちゃな時代の自分達を思い起こしてもらいたい、とある。

1876年に出版された物語だけれど、この「はじめに」を読んで、140年ほどたっても、人間の本質なんて変わらないものなんだな~と思った。

そして、第一章へとページをめくると、オリジナルのイラストに大感動。思わす、わ~っと言ってしまった。
いい感じでしょ

そして、誕生日の翌日がバレンタインデーというワタシに、着色料どっぷりのゾンビ色のアイスクリームケーキのプレゼント。食べると舌が青くなった。なんでも、これしか残っていなかったとのこと。お隣さんにも少しおすそわけした。

Thursday, February 11, 2016

The Narrow Road to the Deep North, Richard Flanagan

今週は冷え込み、マイナス15度

マンブッカー賞受賞という見出しと第二次世界大戦中の日本戦争捕虜収容所での話、、ということで読むきっかけに。

作家はオーストラリア人。父親から聞かされた日本人占領下のビルマでの鉄道建設の戦争捕虜体験が書くきっかけとなったとのこと。確かに過酷で野蛮な強制労働の様子が描かれているけれど、同時に日本人、日本文化への造詣の深さが伺われ、憎悪というよりも、その時代に余儀なく生きた日本人軍人の姿が描かれているという感じがしないでもないかな。最後の章は、オーストリア人、在日韓国人、日本旧軍人のそれぞれの戦後の生き方と死。戦中、戦後という時代の変遷とともに生きた主人公オーストラリア人医師の一人生が語られる。

芭蕉や一茶の俳句が英語訳で織り込まれている。このタイトルも実は芭蕉の「奥の細道」にあたるらしい。


Tuesday, February 09, 2016

週末の遠出 2016年2月5-7日

気温1度

先週の金曜日から日曜日に約400㎞ほど北上し、国立公園へ。ビジターセンターでは、鳥がえさを求めてやってきているとのこと。

久しぶりの雪景色は、クリスマスを思い起こさせるほど。

湿地帯の散策道を歩く
ブルージェイやイブニンググロスビーク

地面におちたえさをついばむブルージェイ

このような鳥がみられるらしい

クリスマスの飾りのようなイブニンググロスビーク。灰色気味の鳥は雌のイブニンググロスビーく


Wednesday, December 30, 2015

ジョーンビーニーの死を知る

気温2度。霧が出ている。月曜日に降った雪が少し残る。

年末休暇でダラ~としている毎日。森の散策をして戻ってきたら、隣人からの留守電で、ジョーンが1週間前に亡くなったと知る。Gのお父さんが11月に90歳で亡くなったのと同じ彼女も90歳。

首がよく回らなくなって車の左後方確認が難しくなったから、車の運転をやめた、ということで、ここ4年ほど彼女の駐車場を借りていた。Gのお父さんの車の運転を(無理やり)やめさせたのと同じ頃で、お父さんも彼女くらいあっさりと車の運転をあきらめないものかと話したものだ。

駐車場を借り始めて、1年ほどたったころ、お茶に招いた。外見から70歳後半かと思いきや、Gのお父さんと同じ年で80歳後半。一生独身を通したキャリアウーマン。地元のコンクリート会社で定年までセクレタリーとして働いていたという。彼女の筆跡はテキストブックのように美しい。1960年代には、クルーズ旅行もしたという花のオフィスレイディだったことを知る。

2年前の2014年の冬は厳しくその年の終わり頃、腫瘍がみつかったとかで数回手術をしていた。その時、Gに遺書のようなものをくれた。それは、姪っ子にあてたメモで、そのまま彼女が写し書いたもの。内容は、もし、手術中に私に何かあったら、どこそこのGに駐車場を貸しているから、私のコンドが売れるまで、彼に無料で駐車場を貸すこと、というもの。手術は無事終わり、すぐさま退院、また、同じように自分の生活に戻る。Gが何か手伝いが必要なら言ってねというと、一度だけ食料品の買い物のお願いがあった。今年にはいって、腎臓も悪いとかでまた手術に臨んだ。この10月には、Gが彼女を市立病院までお見舞いに行く。翌週に退院し、また自分の生活に戻る。その数日後、介護施設に入るとの電話を受ける。その名前を聞くと、どうも終末ケア施設じゃないかなと。。。そして、彼女の死を知る。

老人施設にも、養護施設にも入らず、最後の最後まで自分の人生を全うする。近親者は3時間ほど離れたところに住む姪っ子。最後まで自分の判断で生きることのできた人生は素晴らしい。

2015年12月24日。クリスマスイブの日。クリスマスはグリーンクリスマス。満月が美しい夜でした

Sunday, December 13, 2015

早期退職

霧雨、積雪ゼロ。ここのところ最高気温は7度から10度。早朝は濃霧の毎日。

以前から55歳で早期退職することを計画していた。シンプルなライフスタイルの故、ローンの返済が済んでいれば、可能だろうと。

ということで、12月9日水曜日、ついに人事部に早期退職の意思表明。同日、課長にその旨伝える。

小規模ながらも来年夏に向けてのプロジェクト担当。そのあとの大型プロジェクト担当の話も出ていたけれど、そんなころ、ワタシいないよ、と係長と春に話していた。いや、お前はいなければならぬ、、などと冗談を言っていたけれど、彼、どこまで本気にとっていたか。。

退職後のどんぶり勘定をして、いつ伝えるべきかと思案すること数週間。同僚は、私の年齢を知らないし、最近退職者が増加しているけれど、ほとんどは20年から28年勤務している。ワタシの場合は16年と2か月で退職を迎えることになる。みんなに迷惑かけるよな~、とか、プロジェクトの真っただ中だし、、、とか、結構葛藤があったけれど。次から次へとプロジェクトは生まれるし、仕事はきりがない。。初志貫徹だ!と決行。

人事のBと何度か面談すると、そうよね~、事務職とはいえここの仕事きついし、あまり時間の自由がきかないしね~、さっさと言わないと、きついスケジュールで出張にまきこまれる可能性あるわよ~、と、ワタシが説明せずして、彼女が発言するので、笑ってしまった。じゃ、あなたが、課長に報告したら知らせて。そのあと、人事のほうであなたの課長に伝えるからと、本人の意思を尊重してくれる。

課長の日程を見ると4時に会議が終わるとある、そこで4時20分ころ、課長のKの席にいって、ちょっと話があるんだけど、会議室で話したいと接近。

ワタシ:わたし、来年55歳になるんです。誕生日は2月。ということで、3月一日をもって早期退職します。
課長:何~!!!(と驚き、)、おめでと~!(満面のスマイル)いいなぁ~、うらやましいな~。僕は26年勤務、現在49歳。退職まであと4年、そのころは、子供たちも大学を終えようとするころだよ。うらやましい~な~

仕事が、どうこうの話は、一切なく、おめでとーの一言。はっきり言って、拍子抜け。ま、仕事は誰でも出来るんです。

とにかく誰にも微塵とも早期退職の気配を見せなかったので、反面ちょっと恐縮していた。その直後、5時過ぎに翌日木曜日、金曜日と休暇予定のJに、報告。ちょっと話があると廊下に呼び出す。えっ~っと口がしばらくぽっかり、そして、「おめでと~!」って。その後どうするの、という話にもりあがる。

家に帰って、Gになんか拍子ぬけしちゃった、というと、そんなもんだって。この夜は、ほっとして、7時過ぎにソファーで爆睡、そのままベットに移動して朝まで眠る。

翌日木曜日;出勤すると、まだみな知った様子がない。同僚のKに、伝えると、彼の場合、直接影響が及びそうなので、じゃ、きみのプロジェクト僕が受け継ぐのかな~という話になる。ワタシとしては、彼じゃなく、若いSが適任だと思うのだけど、そうした決断は、もうワタシの範疇ではない。

部長補佐のRがちょっと君の時間さいてもいい?とやってきた。ワタシの中で、いよいよRに伝わったなというちょっとしたコーフンがある。またまた、満面の笑みで「おめでとー!」って、あんまり、びっくりするようなことってないんだけど、このニュースには驚ろかされたよって。ワタシも、驚かすことができて満足って返答する。彼とはこの数年、私の次の所属先の話をしていたわきあいあいの仲。その後、課長が我々のグループを集め、発表。また、みなを驚かすことができた。長年一緒に仕事してきたTはほんとびっくりし、寂しくなるよ、、、って、ちょっと胸がキュンとする。。そして、彼の退職計画を披露してくれた(あと11年)。

金曜日:数年前に人事に移動したAからチャットで、退職するって知ったけどほんと??って。なんでも人事部では、人の移動のお知らせメールが毎日でるらしい。いいなぁ、おめでとー。みんなで集まるのであれば、ぜひ声かけてねって。

金曜日の朝、部の課長が朝礼でみな知ったと、仲良しの若い部長と話す。全然知らなかった、、って。

ぼちぼちと情報が拡散し、数人が、目を丸くして、で、どうするの?って聞いてくる。

ついに部長のDがランチ前にワタシの席にやってきて、「退職するんだって、おめでと~」って。そして、「何事も次のステップに移行するっていうのは素晴らしいことだと思うよ」って、なんだか、意味のわからないことをいうので笑ちゃった。

ということで、精神的に落ち着かない週だったけれど、無事、次のステップに移ることになったという感じ。