Wednesday, May 21, 2008

シカゴに行ってきた 5月16日~5月20日

シカゴを舞台にした映画を思い浮かべると、アルカポーネのギャングスター物(題名が思い出せない)、ポーランド人のおばさんから安アパートを借りる場面のあるハリソンフォードの「逃亡者」も、ポーランド国内についでポーランド人人口の多いシカゴだったように思う。"Harry met Sally"は、シカゴ大学卒業から話が始まったような。比較的最近のものではリチャードギアの「シカゴ」か。

1871年にシカゴ大火災で街は全焼。これを機に木造建設は禁止となり、シカゴ建築史が紐解かれる事となる。1873年、米騒動なるパン騒動に引き続き、鉄道労働者の8時間勤務体制要求ストライキ。警察が労働者を殺害したことから、爆弾爆発など暴動となり、4人が処刑される。これは、アメリカ史の中でも、最悪の正義に反した判決となったそうだ。文化面では1879年に美術館開設、1890年にはシカゴ交響楽団、シカゴ大学の設立となる。勢いにのって1893年に国際見本市が開催される。白い大理石で造られた見本市会場には2千500万人の入場者を迎えるが、終了後、経済停滞の空気を感じてか、建物は無残にも破壊され社会秩序の安定を欠いたそうな。1914年までにヨーロッパからの移民、そして綿花栽培の機械化によりアメリカ南部から大量の黒人が流れてきた。1910年に1.4万人だった黒人人口が1920年代初頭には11万人に膨れ上がる。人種差別が生まれ、禁酒法の時代を迎え、アルカポーネの時代となるわけである。

多くの都市がそうであるように、経済成長を伴う都市の発展とともに、社会格差は広がる。この様子は、大学受験に向けて一握りの優等生だけをぐいぐいと引っ張り、大半を占める他学生を無視して落ちこぼれとしていくどこかの教育制度に似ているような。そのしわ寄せは様々な形で現れる。どんな状況においてもバランスを保つというのは難しい事である。

シカゴのあるイリノイ州やインディアナ州は中西部と呼ばれる(mid west) 。西部開拓前、東部からみると確かに中西部なのだろう。でも、時にこの中西部という呼称は皮肉っぽく、閉鎖的な田舎者を示唆する事もある。トロントにいるいとこの妹がインディアナに住んでいる。その妹のことを、「あのこったら、最近なんだかあの中西部の田舎者の雰囲気を漂わせるようになって嫌だわ。マンハッタンが危ない何ていうの」といった調子。シカゴに行くにはミシガンを横断していく。ミシガンの店員が笑顔で対応してくれるのに対し、確かにシカゴの店員は無愛想かもしれない。発音もかなりアクセントが強いしねぇ。

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