Friday, March 28, 2008

マルコムからのEメール

晴れ

2週間程前に、久しぶりにマルコムにEメールした。講演会等での話題は多いものの、雑誌ニューヨーカーへの執筆もないし、彼のブログの更新もままならないという今日この頃。マルコムと読者をつなぐものはやはり彼の書くものであって、それがないと非常につまらない。ということで、読者はみんな待っているよってメールしてみた。そうしてら、昨日、メールが。。。。ウフフ

彼が3冊目の本を年明け早々に出版ということで(2007年6月のブログ参照)、その詰めにずっと終われているとのこと。そして、そういってくれて(みんな待っているよって)ありがとうって。うふふふふ。さて、はたまた彼のメールは全て小文字。大文字がない。去年の1月あたりに初めてもらったマルコムのメールと一緒。その時はマルコムじゃないでしょって返答した(2007年1月のグログ)。今回、本当にマルコム???ってこちらも全て小文字で返答してみた。今日、メールをあけると、再びマルコムからメールが。。。昨日の私のメールの15分後に発信。      ”yes”って。

金曜日だというのに会社をでたのが夜の9時過ぎ(ここのところ連日です、そして来年まで続きます。。。)、かなり疲れてアタマに来て帰ったところにこのメール。もう、疲れも怒りなにもかも吹っ飛びました!

日本でのマルコム研究の第一人者と自称している私。早く彼の3冊目を読みたーい。

Sunday, March 23, 2008

メットオペラ:トリスタンとイゾルデを観る!

3月23日、イースター休暇で金曜日から3連休。晴れの良い連休でした。金曜日の夜はマイナス13度。今日は日中散歩する。

昨日のトリスタンとイゾルデはハプニングなく無事終わりました。2幕目では、ソプラノとオーケストラのパワーに押され、テナーの声が余り聞こえないなぁ、なんて思ったけれど、3幕目は殆どテナーの一人舞台。イゾルデのメイドのメゾソプラノが1幕で輝いていました。やっぱりワーグナーだなぁと感じた次第。少人数の登場人物で歌い手の力を思う存分試すという感じ。最後に至るまでにはすっかり圧倒されていました。

先にも書いたようにオープニングからハプニング続きだったこのオペラ。ソプラノのインタビューによると、4人のテナーとは、全くリハーサルがなく、すべて初対面でのラブシーンとなったらしい(2幕目)。突然のメットデビューとなったロバートディーンスミスは、3月14日にメットから連絡を受け木曜日の20日にベルリンからニューヨーク入り。20,21日とピアノリハーサルのみで、土曜日当日初めて舞台装置に足を踏み入れたとのこと。日曜日には、再びベルリンでの舞台のためヨーロッパへ。本人、2009年の12月にメットでデビューする予定だったらしいが、思わぬ早期デビューとなったわけです。

舞台装置はまたまたメットならではの深い奥行きと高い天井を利用したもの。でも歌い手にとっては大変な舞台装置だったと思う。なるほど、先の公演でテナーがひっくり返ったわけがわかりました。なんと、舞台に傾斜がついているのです。メイド役のミッシェルは、今日は、蛋白質の高い良質の朝食を食べて、舞台にそなえ、休憩にはプロティン入りジュースを飲んで臨んでいます、なんていうくらいの5時間に及ぶ大変なオペラなのに、それに加えて、屋根の傾斜の上で歌うような舞台にはそれはそれはお疲れのことだったと思う。ちょっと、歌い手のことも考えたら・・・なんてチラリと思うでもなし。ちなみに、照明は素晴らしかった。。。

男達のヘアスタイルはなんとお相撲さんのマゲスタイル。テナーのロバートは誰かに似ていると思っていたら、元横綱千代の富士でした。

Saturday, March 22, 2008

メットオペラ:トリスタンとイゾルデ

晴れ、

今日はこれから待望のオペラ。ワーグナーのトリスタンとイゾルデと聞いただけでゾクゾクする。なんと、時間を確認したらいつもは1時半開始なのに今日は12時半開始で延々6時間弱という長編だということに気づいた(よかった、時間を確認して。。。)

前回のピーターグライムは、漁村を背景とした華やかさの全くないオペラだった。かなりテナーの力量もためされるものだったらしいけれど、ニューヨーカーマガジンの批評によると、メットでは20年ぶりくらいの上演で、今回のオープニングにあたっても空席が目立ったらしい。

今日のトリスタンとイゾルデも、ちょっとハプニング続きらしい。カナダ人テナーベンハップナーがウィルスにやられて、オープニングを含む最初の4公演で歌えず、彼の代理はかなりの酷評を得たとのこと。他にも、舞台装置からテナーがすべって、異例の途中休憩となり、テナーの無事を確認してからの再開。メットデビューのソプラノ歌手は緊張のためか(?)、ニ幕目で不調を訴えて代理(メットデビューをはたす)をたてるという有様だったらしい。ということで、先週の金曜日は3人目のテナーと代理のソプラノでの公演だったよう。今日の公演はトリスタン役では初めてメットで歌うというロバートディーンスミス。どうなる事か、ワクワク

Sunday, March 16, 2008

講演会にひっぱりだこのマルコム

晴れ、最高気温3度、夜はマイナス13度

一週間前の大雪とは打って変わって、真っ青な空の広がる休日。久しぶりにマルコムの実家あたりまでドライブに行ってきた。陽射しはまぶしくても、風はまだ冷たく、ほろなしの馬車に乗るメノナイトの人達の寒そうな姿、そして馬のはく息の白さが、まだまだ春遠しと感じた。

最近、マルコムは多忙極まりないようで、週刊誌ニューヨーカーに記事を書かない。講演する機会のほうがずっと多いようだ。ジャーナリストが書かないということは、これはファンである読者にとってはゆゆしきことと思われる。なぜなら、ジャーナリストと読者をつなぐものは、ほかならぬ彼の文章でしかないのだから。ニューヨーカーもマルコムの人気に便乗してか、先週末に主催された昨年に続くニューヨーカーコンフェレンスでは、マルコムをまたまた基調講演者の一人にしている。2日間の日程の参加費は、レセプション、食事も含まれて2000ドル。でも、ホテルの割引はありませんのであしからず、なんて注意書きがあった。彼の講演を聞くことのできる人達は限られている(会社が支払ってくれるとかね)。世界中に広がる彼のファンは、実際の講演にはのぞめない。せめて、以前のように4半期に一度のペースで書いてほしいものだ。彼の書くものは、彼のインスピレーションとリサーチで少なくとも3,4ヶ月はかかると見積もっている。

そんな旨を、マルコム宛にEメールした。

マルコムを地元新聞に紹介した記者(私は彼の記事でマルコムを知った)が、今年は精力的にユニークな方面での記事を書いていて、カナダ新聞のある報道カテゴリーに昨年に引き続きノミネートされた。連続ノミネートおめでとうと、1年ぶりくらいにEメールしたら、ありがとうと返事がきた。マルコムもこんな感じで返事をくれたらどれほど私を舞い上がらせてくれることか。。。

Monday, March 10, 2008

旧隣人との夕食:宗教と医学

3月10日、晴れ、朝マイナス22度、日中プラス2度。夜はマイナス6度。

8日の土曜日はまたまた大雪。積雪20cmという大吹雪の日に、以前の隣人、お向かえに住むご夫婦を夕食に招待した。それはそれは、色々な話題が上り、話がつきなかったのだけど、とても印象に残った会話がある。

おじさんは外科医で2年前に退職した。ご夫婦ともメノナイト派の熱心なクリスチャンである。食事の席で、政治と宗教の話はするなというけれど、という前置きで始まった。おじさんは医学部に進む前に神学を専攻したという。医学部に進んだのは、方向転換ではなく、まず神学を学びそれから医学部に進むと心に決めていたらしい。そこで、質問。医学部に進んで、宗教との葛藤や矛盾はなかったのかと聞いた。すると、逆に神の存在が益々確固としたものになったという答え。科学的実証は、神のまいた種を、人間が一つ一つ見つけているだけで、それは人類の永遠に続く作業だと言われた。

以前、パキスタン人の同僚が、神を信じないなんて、これほど不幸なことはない。今からでも遅くないよ、、などとずいぶんと心配してくれたことがある。その後、なんとなく説教じみた話が続いて、ウンザリしたものだ。でも、彼も勉強すれば勉強するほど神の存在を信ぜずにはいられないよ、と言っていた。

なるほど、その時は、ふ~ん程度の説得力しか感じなかったのだけど、おじさんのわずかの言葉には今までにない強烈な説得力を感じたなぁ。同時に、ちと俗っぽくなるけれど、2001年宇宙の度の最初のシーンが脳裏をかすめ(かなり俗っぽいか。。。)、更に遥かかなたの遠い遠い時間を感じることができた。

Sunday, March 02, 2008

「崩れ」、幸田文、を読む

穏やかなな日曜日。今晩からみぞれ。

日本ではどんな本が人気なのかなぁという興味から、インターネットで検索し、ウェブ本の雑誌というサイトに出会ったのが約1年くらい前だろうか。その中に作家の読書道というセクションがあり、人気作家の読書暦を披露する。ここで紹介されるのは比較的新進気鋭の作家で、彼らの作品は殆ど読んだ事がない。でも、彼らの読書暦から触発されて読んでみた本が多々ある。外国文学もその一つで、ポールオースターなど読み始めたのも、ここで紹介されていたからだと思う。

「崩れ」は、旅行ノンフィクション作家という看板の宮田珠巳という作家の紹介。作家は幸田露伴の娘で、崩れという現象に着目し、それを言葉で表現する。72歳の作家は時には、おんぶされながら日本の山の崩れを訪ねる。これを読むと、数年前の新潟での地震や土砂崩れを思い出さずにはいられなかった。崩れとは、地質的に弱いところということ。美しい日本列島はまさしくそうした弱い地盤で形成されている。

とても美しく柔らかい日本語で荒々しい自然現象が言葉にされている。