Wednesday, April 16, 2008

"Love in the Time of Cholera", Garcia Marquez を読む

晴れ、最高気温16度。金曜日は20度に。。ガソリン代高騰。リットル当たり1.17ドル

100年の孤独を読むつもりがガルシアマルケスの最新作になってしまった。映画にもなった作品で昨年末あたりに公開されたような。

身分の違うプラトニックの恋。フェルミナは父親の希望どおりに医師と結婚、フロレンティーノはフェルミナのことを忘れる事が出来ず独身のまま過ごすが、もちろんその間、多くの情事が。。そしてフロレンティーノがフェルミナに恋した日から、51年9ヶ月と4日の月日が流れ、フェルミナの夫の死を契機に、70歳を超えた二人の愛が再燃する。

なんだかわからないでもないです。わたしも、なんとなくありえない話じゃないという気も..。昔思いを寄せた人に、80歳になってから会って、その時お互いに一人モンだったら。。。って(う~ん、二人くらい脳裏をよぎる....)。=(一人ではなく、二人というところに私のテキトーさがでているなぁ。。。)

Tuesday, April 08, 2008

旧隣人の引越し

16度。今夜は雷雨の予報。

3月大雪の土曜日に夕食にお招きした旧隣人から電話があり、実は同じコンドに引っ越す事になったのよ、と言われ、二人で大笑い。

おじさんが引越しをかなり本気で考えていたことは知っていたけれど、おばさんは35年住み慣れた家の片付けを考えただけでも腰が重いわ。。と言っていたから、こんなに事が進んでいるなんて全く知らなかった。

それでも、実は先々週末、近くを通ったところ、ちらりと住宅売りの看板が出ているのをみてびっくり。おばさんを説得していよいよ行動に出たんだなぁくらいに思っていた。そして、新居は決まったのかしら。。と。

でも、タイミングというのかなぁ。実は、おじさんとおばさんを夕食に招いた翌週、ここの掲示板に不動産屋仲介なしの個人のコンド売り情報が張られて、それを見て、早速おばさんに電話した私。15階でかなりモダンに改装したということで、ちょっと対象外かもしれないけれど、私のところの2倍の広さのようだし興味がてら見てみたらと。 そしたら、なんとそこに決めてしまったのいうのだから、もうおかしくて笑いが止まらなかった。おじさんは、また隣人になるかもしれないよ、なんて結構確信をもって言っていた一方(夕食の時はそんな売りがでるとは思いもよらなかったけれど)、おばさんは、2階以上のところに住むんなてなんだかいやだわ。。。という発言をしていたし。

でも、私の時もそうだったけれど、相性というか、決まる時にはあっという間に物事が決まるもの。

現在、おじさんは、去年の竜巻被害の救援活動のためカンサス州に4月の末まで行っている。今後もおじさんのこうした活動やおばさんと二人での旅行等、家をあけることが多い。退職後の人生をエンジョイするそのためにも、気軽に留守に出来るコンドミニアムを探していたわけだ。

5月中旬にこちらのコンドに入居、6月に家を手放すという計画らしい。今度はおむかえじゃなくて、上下でお隣さんになるわね、、というのはおばさんの弁。

Sunday, April 06, 2008

HDメットオペラ:ラボエームを観る

晴れ、気温14度。雪解けが進み川の水位がぐっと上がる。月曜日と火曜日は最高気温17度の予報

映画「ムーンストラック」でのNYメットのオペラシーンがこのプッチーニのラボエームで、パン職人のローニーの部屋でレコードから流れる音楽もラボエームである(ポスターも貼ってある)。聞き覚えのあるメロディが次々と流れ、感情の盛り上がりを情熱的に表現する感動のオペラだった。メットでも上演回数の多いオペラの一つと説明された。圧倒される舞台装置とキャストの人数の多さにもびっくり。オペラを見て泣くなんて思いもよらなかったけれど、目が若干潤ったカナ。

今回、映画館に行くと、いつもの4倍くらいの観客で、劇場が半分くらいうまっていてびっくり。いつもの席よりも3列ほど前の席に陣取り、若干、近すぎるくらいの距離での鑑賞となった。トロント市内の映画館では通常2つのスクリーンを使って放映のところ、急遽3スクリーンにし、すぐさまチケットが売り切れたと聞いた。やはり、ラボエームということで観客動員数がぐっと増えたようだ。

今シーズンのメットオペラもあと一回を残すのみ。去年セビリアの理髪師で登場した若きペルー人のテナーの登場である。予告でチラリと彼の声を聞くと、やはり輝きが全然違う。う~ん、楽しみ。

次のシーズンは放映回数を8回から10回に増やすそうだ。

Thursday, April 03, 2008

ジョゼフ(ユーゼク)

晴れ、最高気温7度。日曜日は14度になる予報。

ジョゼフ(ユーゼフ)が英国で心臓発作で亡くなったいた。享年63歳、腕利きの家具造り職人だった。

中学を出てから親類の家具職人見習として始めたらしい。30代でカナダに渡り、品質の良い家具造りで生計をたて、弟も彼を頼ってカナダにやってきた。私達とであったのは彼が40歳位の時だったと思う。その頃、弟の方は、妻も子供もいて移民としての生活を築き始めていたのに対し、ジョゼフは相変わらす、移民の資格を得るために弁護士に大金を払い続けているという有様。そして、残りの収入の使い道はポーランドにいる家族への仕送りと毎日の飲み代。ジョゼフとの写真を見ると、いつも乾杯していて背景にミニクリスマスツリーが映っている。知らない人が見るとあたかもクリスマスの時に撮られた写真のように思うけれど、これは日常の一こまに過ぎない(クリスマスツリーは1年365日そこにある)。月曜日1本、火曜日1本、、とウォッカのビンがソファの横に並ぶ。お金目当てのようなガールフレンドも入れ替わり立ち代り。皆が忠告しても、気にせず。

毎日ほこりにまみれて仕事し、家に帰って飲んで、ベットの中でテレビをみながら、酔いつぶれて朝を迎えるという生活パターン。彼の人生の後半はこの規則正しい繰り返しだったと思うと複雑な気持ちにならないでもない。。。

カナダでの最後は、ポーランド人街で間借りしていたところ、同居人とトラブル。警察が呼ばれ、身分証明書を求められて即強制送還となった。これが5年ほど前だろうか。その頃には、ポーランドにいる妻は見切りをつけていたらしい。ポーランドに帰っても結局行き場がなかったわけだけれど、その頃タイミングよく(?)ポーランドのEUへの参加とイギリスとの就労協定が結ばれ、英語ができる(ちなみに彼の英語は片言)ということで即イギリスで働き始めたと聞いていた。なんて運のいいことと元亭主と笑っていたものだけど、結局、異国で一人倒れているところを見つけられたのではないかと思うと悲しくなる。

ジョゼフにまつわる話は本当に沢山あり、傑作なのはカナダに見切りをつけアメリカに渡ったときの話。結局、カナダがいいということですぐさま再び国境をこっそり渡る。その時に警察につかまるのだけど、「なんでまたカナダに戻ってきたんだ?」という質問に、I love Canada. と返事したことで無罪放免になってしまった(まるで漫才)。また、共産主義が崩壊し、もう政治移民としての手段も失われ、益々ジョゼフの移民の資格取得が難しくなると、残りはホモセクシュアルであるという手段しかないぞ、、などと言う話で大笑い(ジョゼフがホモセクシュアルなんて不可能、あんなに女好きなんだもの)。。

引越しの時に、ジョゼフの作ってくれた本棚も分解し、今は棚の部分が手元にあるだけ。バナナのようのな大きな指と手が懐かしい。。。合掌。