Sunday, September 28, 2014

山霧、毛利元就の妻、永井路子、を読む

この一週間、秋晴れと気温が25度まで連日上がる。紅葉まっさかり。

多分、かなり前にどなたかの帰国の際に譲り受けた本だと思う。ずっと、読むきっかけがなかったのだけれど、フレンチアーキテクトを読んでから、読みたい本が手元になくて、、、と思って読み始めたら、おもしろくて読んじゃったという感じ。

戦国時代ってなんだったけ???なんて、思い起こし、戦国時代の日本地図を検索したり、インターネットってほんとに便利。

自分の責任を棚に上げてだけど、つめこみ教育のおかげで、歴史的人物の名前や地名とかになじみはあるけれど、はてなんだったっけ???と思うことしかり。優秀な学生だと、頭の回転が速くて、つめこみプラス内容を理解していたんだろうなぁ~と思う。


もっとじっくり取り組める教育指導だったら、もう少し分析力のある人間になっていたんじゃないかな。。。なんて思う今日このごろ。

Tuesday, September 02, 2014

今度は我が家で夕食

今週は気温が28度くらいまであがり、ムシムシ。明日から学校は新学期

ショーエイブとハフサを招いた。彼らの育ちのよさは一緒にいて心地よい。常識があり、話題が豊富で、発言に嫌味がないというのか。。。。決定的なことは、言葉遣いが丁寧で、下品な発言がないからかもしれない。こういうのを社交的っていうのかな。

中東問題を専攻したハフサ。なんと私の大好きなペルセポリスのマンガ本が履修科目の副読本の一冊だったと聞き、はじめて年齢の差をしっかりと実感。

ショーエイブは4人兄弟の長男。女の子を含む4人ともアメリカで学位と修士をとっている(みな理系の専攻)。お父さんは、学士とのことで、子供たちにはその上の教育を受けてほしいと願っていたそうだ。経済的に余裕のあることもあるのだろうけれど、子供たちにきちんとした教育の場を与えるのが親としての義務という精神を貫いたという感じ。

帰り際、Gがとってもエレガントなハフサの真っ赤なハイヒールをみて、ステキな靴だね~って言ったら、ショーエイブが誕生日にプレゼントしてくれたのって。ショエイブはちょっと照れて、彼女に見つからないように、コソコソ色々調べて結構大変だったんだ、って。そういえば、1年ほど前だったか、ショーエイブが、ハフサにブランド品を買ったという話があった。Gが文化の違いを感じるな~って言うので、日本の男性も彼女に結構ブランド品のプレゼントするわよ、って言ったら、僕、カナダ人でよかった、だって。
黒鳥、ベイドンで



1990年の寄贈されたという木造水車


真っ白なさぎ、ケンブリッジで

Wednesday, August 13, 2014

The Paris Architect, Charles Belfoure, を読む

暑い日が続いたと思うと明日の最高気温は16度だって、、、

マルコムグラッドウェルが彼のツイッターで、今日は僕の2013年のお気に入りの本The Paris Architectのペーパバックを持って外出、なんて書かれていて、早速購入。表紙にはマルコムの書評があった(なるほど)。

日本語訳はまだでていないよう。

第二次世界大戦のドイツ占領下のパリで、若い建築家が、ユダヤ人の隠れ場所をからくりのようにアパート内に作るというミステリー。文体の読みやすさとミステリーということで、一気に読みきる。おかげで、ここ数日睡眠不足。。。パリ市内の地図も買って、本に出てくる地名と照らしあわせるという気のいれよう。。実は、この間トゥールドフランスをテレビで見ていて、最後はパリのシャンゼリゼを何度も往復する。空からとらえたパリの美しさに見せられたという背景もあったかな。

退職したら、3ヶ月くらい、アパート借りてパリに住んでみたい。

この間まで不動産や野事務所だった隣の家が改造しはじめた。

Sunday, August 03, 2014

「1984」、ジョージオーウェル、「華氏451」、レイブラッドバリを読む

市民の日というのか、月曜日が休みで連休。気温は26度まであがる。雨が降りそうで降らない

先日、ドイツ人は残業しなくても仕事の効率性がよく、プライベートの時間を大切に使っている、という記事をよんで、”よし!”、自分も、と、最近、たかが1時間の残業もやらないように頑張っている。。というか、たかが1時間の残業があほらしくなった(ちりもつもれば、、、、なんですけどね)。かえたことは、今までみっちり5時まで仕事して、5時以降は、明日やることの整理、とかやっていたんだけど、それを4時20分か遅くても4時30分に始めた。気持ちのもちようで、やってみると、どうにかなる。とにかく、さっさと帰る。仕事も家事と同じできりがないから。特にメールの量にはホント泣かされる。。

ということで、夜、1時間余裕が出来て、夏の畑仕事と読書の時間を確保した感じ。

ジョージオーウェルの「1984」を読む。動物農場以上におもしろかった。「1984」は1949年出版され、ジョージオーウェルは、1950年に死亡している。今も生きていたら、どんなものを書いていただろうか。。。

そして、華氏451。映画を見たことがあり、ずっと読みたいと思っていて、やっと実現。レイブラッドバリは、ある日、UCLAの図書館の地下にあるタイプライターとその場所を30分当たり10セントで貸しますという広告をみて、一気に9日間で書き上げたとのこと(本にするには25000文字くらいに完成しなくてはならないということで、その後追加している)。でも、どの出版社も興味をしめさず。そして唯一プレイボーイ雑誌編集者となる若きヒューへフナーが、なけなしの450ドルで買ってくれ、出版にこぎつけたとある。先見の明があったということ。ジョージオーウェルと比較するべきじゃないけれど、レイブラッドバリーは、短編小説家。視点が鋭く、作品は映画になり、舞台になり、と成功をおさめているけれど、やはり読んでいて手ごたえのあるのは長編小説だなぁ~と思う。

畑の収穫がはじまる。これからはズッキーニ、きゅうり、そしてトマト

Saturday, July 26, 2014

夏休み、ユースホステルに泊まる

7月12日から17日まで、Gの娘を訪ねて北へ500Kmほどドライブ。そのあとマニトゥーリン島に渡り2泊しハイキング。最終日、フェリーで帰途に着く。



フェリーに乗る準備のサイクリスト

モーターサイクルは一番先にのりこむ。出るときは、また最初におりる


島ではユースホステルに泊まった。旅行で何にお金がかかるかというと宿泊代。基本的に眠るだけなので、比較的安くて感じのよいところ、というのが条件で、宿泊先選びには結構時間を費やす。

ホステルのオーナーは、脱サラの50代と思われるご主人と30歳くらいの奥さん。生後3ヶ月の赤ちゃんがいる。昨年10月にホステルから徒歩5分という浜辺での結婚式。ご主人にとっては2度目の結婚で27歳になる娘がいるという。カナダ国営のオンタリオ北部のラジオ番組のプロデューサーを長くやっていたところ、環境問題にとりくむ若い今の奥さんとであった。ラジオ局では予算カット等々で、いやけがさしていたところに、人生1度、やりたいことをやるのなら今とホステル経営に。小さなホステルは2階に個室が二つ、3つ2段ベットの並ぶ共同部屋が一つ。2階のバスルームは共同である。1階は台所、談話室、シャワールーム、洗濯場、そしてカーテンでしきられた小さな事務所がある。いったい、彼らはどこに寝ているのだろう、、、と思うと、裏庭に小さなキャンプ用トレーラーがおいてあって、そこが彼らの寝室らしい。厳しいオンタリオ北部の冬のため、ほとんどの収入は6-9月の4ヶ月二集中するという。本当にベーシックなライフスタイルである。

以下はホステルで出合った人達

1.40歳代後半のレズビアン
両方ともフレンチカナディアン教師で自転車で1ヶ月旅している。去年は2ヶ月かけてバンクーバー島を一周自転車で回ったとのこと。基本的にはテントをはってキャンプ生活。雨の日はホステルやB&Bに宿泊するとのこと。なんでも、サイクリストのために、ウチのシャワーを使ってもいいですよ、というウェブサイトもあるらしい。ドアをノックノックして、シャワーをお借りしたいと、いえばいいとのこと。たいていは、軽いスナックなど提供してくれ、シャワー以上の恩恵を預かる。一日あたり15kmくらいの走行ということで、比較的のんびりのペースで動く。一人の女性は、先住民族の住む地域の先生をしていたことがあり、ひと月に3人もの自殺者がでるという、かなり厳しい環境での教師生活だったとのこと。二人は数年のうちに日本に行きたいとの事で、日本でのレズビアンの対応はどうかとか、色々聞いてきた。

2.ドイツからの女子大学生二人
一見して、ヨーロッパからの旅行者とわかった。服装、雰囲気が北米の学生と全く違う。黒髪ショートヘアーの一人は秋からPhDプログラムに進むという物理学専攻の大学院生。レンタカーを借りて1ヶ月オンタリオとケベックを回り、さらに一ヶ月は親類のいるカナダ西部にわたるとのこと。ユーゴスラビア出身のおばあさんの家族が民族紛争の際に難民として移住したらしい。

3.カナダの大学生カップル
20歳くらいと思えるカップル。一日あたり60km走破目的でこの夏サイクリングの旅をしているという。この1月にはギリシャに二人で遊びにいった。

Gの娘のいる町はニッケルの炭鉱の町

Gの娘のだんなの両親の家。去年ボヤをだしてコッテージを再建築
炭鉱ツアーガイド
ナイアガラ断層をハイキング。先は断崖で高所恐怖症の私は、際までいけない

ガラス張りで広いパティオがあり水に面している

Friday, June 27, 2014

若いカップルから夕食の招待を受ける

6月14日、

会社の同僚、ショエイブから、丁寧に夕食のご招待を受けた。

ショエイブはエジプト育ち、アメリカの大学、大学院でコンピューターサイエンスの修士を取得した29歳。はじめて知ったのだけど、16歳で大学に進学したとのこと。奥さんのハフサはパキスタン人で外交官の娘、31歳。二人は、エジプトでのアメリカンスクール時代からの友達。ソーシャルメディアの発達で、エジプトを離れてからも、スカイプ等々で常にコンタクトがあったという。

20歳以上も年が離れているにもかかわらず、私とGを彼らの自宅に招いてくれ、我々としては光栄のいたり。その旨伝えると、育ちのいい二人もこちらこそ、光栄にいたりです、、と返事が返ってくる。実は、私とショエイブは会社で気の合う同士なの。

ハフサはUCLA卒業の才女。そして、さすが外交官の娘、お料理の腕は最高。幼少の頃、トルコに滞在してたとのことでトルコ語も話す。実は、なんだかんだと6ヶ国語話せんるんだよ、とショーエイブが付け足す。

この日の夕食は、トルコ料理、Gのためにベジタリアン料理も用意してくれた。そして、最後に、はじめて作ってみたんだけどと言って、いちごのチーズケーキとトルコのお茶がでてきてた。みかけは、紅茶のようだけど、しっとりとした味わいで、トルコ料理のためのトルコ茶という感じ。お砂糖もミルクもなくそのまま飲む。とっても美味しくておかわりするほど。乾燥茶ではないという、きっと入れ方もかなりのコツがいるんじゃないかな。

二人とも話題が豊富で、歴史から文学、そしてコンピューターゲーム、と話が尽きない。そして、我々の話をじっくりと興味深く聞いてくれるところが、すごいなぁ~と感心する。時計のないダイニングルームでのひと時はあっという間で、そろそろおいとまします、といって車に乗り込み、10時半くらいな、と二人で想像すると、なんと12時半。全く、失礼いたしました!という感じである。

ショエイブにお礼を言うと、またまた丁寧にへフサからもメールが届く。この日曜日29日からラマダンが始まるので、ラマダン明けに、我が家に招待しようと思っている。なに、つくろうかなぁ~。


Monday, June 23, 2014

オタワに行く

6月20日ー22日、晴れ。Gの弟のダグの60歳の誕生日

オタワ近郊の養老院にいるGのお父さんを訪ねた。先に行って帰ってきたダグにどのくらいいたの?と聞いたら、60分くらい、いや5分x12回かなって。なるほど、Gのお父さんエリックに会って、ダグの言うことに納得した。5分ごとに同じ話をする。繰り返しの話は、
1.奥さんと同じ名前の女性がここにいて、このあたりの出身なのに、未だナイアガラに行ったことがないんだってさ
2.もう一度、ナイアガラに行きたい。車を運転しようと思えば出来るけど、列車でいく。最近免許更新したから、法的にはまだ運転できるからね、
3.いつも、近くの町まで歩いている。歩かないと足腰が弱ってしまうからね。

今年89歳のエリックは、アルツハイマーを若干わずらっているものの、肉体的にも精神的にも元気な老人。未だ、皮肉交じりのユーモアも健在である。養老院で見かけたほとんどのおじいさん、おばあさんは、ウォーカーを使って歩いているのに、エリックは、まだまだ背筋を伸ばしたままテクテクと歩くことが出来る。

今朝、久しぶりにみかけたコンドの住人のデービッドが少しやせて杖をついて歩いている姿に
びっくり。どこか具合悪いのかしら、、、って思うくらい。彼も80歳を越えている。

もし自分が90歳まで生きていたら、いや80歳でも、元気に自分の足で歩いていられるだろうか、またそうするためにはどうしたらいいのだろうか、、と考えた。

ひざの故障で、去年12月にスカッシュをあきらめ、この春、ジョギングもあきらめた。。。(悲)7週間の徹底したジョギングプログラムに沿って走ったら、本当に身体が締まって、足の筋肉もよみがえったのに、残念。

ということで、今は、ひざの筋力回復運動とヨガもどきのストレッチ、歩くこと、と畑仕事に専念している。

レストランのパティオでドイツーガーナ戦を観る人達

二冬前に逃げ回ったガチョウも子供ができていた



運河からみたホテルシャトーローリエと運河博物館、そして青い空

Saturday, June 14, 2014

マルコム、高等学校75周年同窓会に登場

6月6日金曜日、晴れ、

10日ほど前に地元の新聞でマルコムが高校の75周年同窓会にパネリストの一人としてやってくるという記事をみつけ、早速チケットを購入。

パネルは生徒から慕われた英語英文学の先生が進行役。パネリストはマルコムを含めて4人。うち3人は同級生。ブルースは新聞ニューヨークタイムズのエディター、マルコムは雑誌ニューヨーカーのライターであり5冊本を出版している。テリーはハーバード大学でソビエト・ロシアの歴史を教える教授。テリーのお兄さんはトロント大学ビジネススクールで教えると同時にビジネス界でもっとも影響力のある一人として名前があげれらている。つまり、この小さなな街の高校が輩出した自慢の同窓生。

この小さな街が彼らの成長にどう影響したのか。。。というのが主な質問。オンタリオの弁論大会でも大いに力を発揮したという腕白坊主3人は機知に富んだ回答をみせる。

1.都会から離れた小さな街で、住民がお互いを知っている。この子はどこそこの子、ということで、子供のいたずら、わんぱくにも寛容な社会
2.テリーとお兄さんのロジャーはメノナイトの家庭の出身。真理・真実が日々の生活の中に存在していたという。つまり神ということなのか。。。
3.大学で都会にでて、はじめてボタンダウンというシャツの存在を知ったというエピソードを語ったブルース。5人兄弟の末っ子だったため、新しい服など与えられることはなかったという。都会に出て、自分が田舎出身者と認識したようだけど、だからといって、自分の存在、価値観がゆらぐことは全くなかったみたい。物質的な価値観にゆさぶられないなにか確固としたものが既に育まれていたと思われる。

なぜ、同学年の3人が突出したのか、というのは不思議な疑問。たまたまの偶然なのか。テリーとお兄さんは遺伝子の関係だろうか。。体育館で行われたこのパネル、お隣に座った奥さんは、71年の卒業生。この同窓会のためにみな地元に戻ってきてますか?と聞くと、クラスメイト30人中20人は地元に残っているというではないか。農業主体のこの土地。やはり外に出るより、地元で家業を継ぐのが普通なんだと実感。

いつもこの街を訪ねると、馬車にのったメノナイトの住民と一般住民が全く違和感なく生活しているのに関心する。そもそもメノナイトの人達の定住が先だったと思うので、その基盤が守られているのだと思う。

でも、ここ10年、新興住宅地が広がり、この街に、新しい住民が急激に増えている。この不思議な融合関係が今後も保たれるか、ちょっと心配。
マルコムと進行役の先生


Sunday, May 25, 2014

最近のコンドミニアム

晴れ、やっと気温が25度くらいまで上がる。チューリップからライラックへ

今月はコンドミニアムに住む二人のおじさんが亡くなった。83歳と85歳。一人のおじさんはがんをわずらっていて数ヶ月前に廊下で倒れ、そのまま入院し、つい先日亡くなったとのこと。時々エレベーターで顔を合わせていたけれど、病気とは知らなかった。掲示板に死亡広告をみて、なじみの顔に驚いた。。もうひとりはドンさん、奥さんはまだ現役で働いている。数年前に脳梗塞か脳溢血をわずらったため、半身が少し不自由、でも元気な様子。2年前は、時々杖をついて歩いていた、それが去年は、ウォーカー歩行補助を使う姿も見る。本人はウォーカーを使うのにかなり反抗している様子が伺えた。俺はまだちゃんと歩ける!といわんばかり。それが、この半年だろうか、痴呆の気配が現れ、エレベーターで、靴も履かずにいて、どの階でおりるのかわからなくなっている様子をみた。また、ドアの鍵の使い方に戸惑っている様子も。最後にみたのは2ヶ月ほど前、スーパーで。奥さんはショッピングカートを押して買い物、その間、ドンさんはスーパーの片隅にあるカフェテリアのテーブルで、一人座って待っていた。最近は二人とも見かけないなぁと思っていたら、先週新聞の死亡広告にドンさんの写真をみて、、ドンさんの死を知る。

現在住んでいるコンドミニアムは、築20年ほど。大方は、年をとって家、芝、除雪などの手入れが手におえなくなり、ここが最後の住居になるだろという覚悟(ちょっと、大げさだけど)で移ってきている(自分もしかり)。とういうことで最初に移ってきた老人たちの年齢は今80歳台。自分もしかりだけど、この5年の変化は結構大きい、そして年をとった彼らの様子をみるのは時々つらい。。あれ、この間まで、かくしゃくとしていたのに、、、という感じ。

一方で、最近は新しい入居者もみる。事情はわからないけれど5歳くらいの孫と一緒に住んでいる老夫婦、30歳を過ぎた息子も一緒に住む家族、その父親のビクターは最近みなの話題になるクセのあるおじさん。60歳台後半だろうか、アコーディオンを弾くので、あらゆるパーティーとか誕生日とか突如登場してくるとの事で、ありがた迷惑とのこと。かなり自己中心的な人物らしい。

ちょっと華やかな話題は、ずっと理事を勤めていたロジャーの再婚(だと思う)。83歳のロジャーが去年引っ越してきた60歳台のエリーンと2週間前ほど再婚したというではないか。2階に一人で住んでいたロジャーが14階のエリーンの広い部屋に移ったと知ったのは去年のこと。そして同居していたエリーンのお母さんは2階のロジャーの部屋へ。。でも、まだ続きはあって、お母さんは去年その2階の部屋で亡くなった。それも自殺だったらしい、とロジャーの再婚のニュースと一緒にきいた。そういえば、去年、警察もきて、棺がビルから運ばれるのをみた。あれは、彼女だったのではないかと思う。そして、同じコンドにすむロジャーと同じ年頃の元彼女は、ロジャーにふられ、それはそれは意気消沈としているというではないか。。

まもなく、恒例の年次総会。理事の選挙に新しい顔ぶれの候補者が現れ、またまたおもしろいことになりそう。
やっとライラックが花開く

一面のタンポポ畑。はらばいになって写真をとるG


Sunday, May 04, 2014

"Animal Farm", George Orwell を読む

晴れ、雨、気温は10度となかなか暖かくならない。

日本語は「動物農場」。高校生のころ読んだ記憶があるけれど、今回読み返してみると、なんにもわかってなかったな~、というのが実感。知的にかなり未熟だった(今もだけど)。。

第二次世界大戦真っ只中に書かれたこの本は、どの出版元も出版を拒否した背景があるとのこと。ということで自費出版ではじまり、1945年に小さな出版元が二束三文で出版に同意したとある。アメリカのランダムハウスはアメリカで動物の話は売れないと全く興味をしめさず、なんたってデズニーランドの文化の国だよ、と冷たく返事がきたとある。

自費出版にあたっては、出版の自由という前文を挿入し、イギリス政府の情報省(Ministry of Information)によるセンサーシップを非難している。その背景にはドイツを拒みソビエトと同盟を結んでいた英国の戦時下の状況があり、チャーチルは批判しても、スターリンへの批判など問題外だという風潮だったらしい。また、マルクス主義という思想とユートピア幻想、そして全体主義の恐怖、この時代世界は混沌としていた感がある。

第二次世界大戦後、難民キャンプにいたウクライナ人がたまたま目にした英語版を片言ながらも読み、直にオーウェルに翻訳許可依頼の手紙を書いたそうだ。そして、オーウェルは翻訳許可に無償で同意し、彼自身がウクライナ語版用に特別の前文を書いている。今、ウクライナ人はこの本を覚えているだろうか。。

今回読んだ本は2010年に出版されたもので、初版の出版元が創立100周年を記念して発行したもの。Christopher Hitchens という人が前文を寄せている。また、巻末に、オーウェルの前文Freedom of press とウクライナ語版にむけた前文が含まれている。

初版からほぼ70年経ても考えさせられる本。時代を経ても、本質的に人間社会はかわらないといことか。。。未だ中国やミャンマーそして北朝鮮では読まれることのない本らしい。

森林公園の散策道。雪解け水と雨で一面は洪水状態。12月のアイスストームで大木が倒れている

アイスストームで倒れた大木が散策道をふさぐ

マグノリアはまだ硬いつぼみ

チューリップはまだ花を咲かせず、ヒヤシンスと水仙がかろうじて春の気配をつげる



Saturday, April 26, 2014

日本のニュース

今日は午後からメットオペラ。

日本の高校の先生が自分の勤務する学校の入学式を欠席して(担任にもかかわらず)、自分の子供の入学式に行ったということが話題になっている。

フム、やっぱり日本って大変だな、、、というのが感想。会社の同僚に話すと、最初このニュース性を全く理解しなかった。

ちょっと状況は違うけれど、今週出先での会議中にこんなことがあった。我々4人が一台の車にのって、取引先の会社での会議にでかけた。この会議のために、アメリカから社長、副社長もやってきて同席。会議が予定時間よりのびて、取引先のプレゼンテーションがあと10分くらいでおわろうとする時、我々の一人のブラックベリーの電話が鳴り、一人が席をたった。会議室にもどってくると、「すみません、妻の父親が心臓発作で病院に運ばれたので、病院にかけつけなければなりません。」と動揺している。この一言で、双方とも一寸の躊躇もなく、コンピューターを閉じ会議が終わった。会社に戻るまで車で1時間の運転、すぐさま、我々4人は車に乗り込んだ。

もし、我々が2台の車で行っていたのなら、彼だけ会議を終え、他の3人は残り、おそらく会議は最後まで継続されていたと思う。ただ、日本だったら、、この人は会議が終わるまで我慢したのではないだろうか(義理の父)、妻はどう夫に連絡しただろうか(とりあえずまた連絡するというだろうか??)、と。家庭の事情は職場で話さない??

また、この木曜日、毎朝聞くラジオで、ラジオの女性が、「明日はお休みさせてもらいます。今晩子供が学校の劇で舞台に初めて立つんです!」、と、興奮を隠さずに。早朝のラジオパーソナリティーということで多分彼女の仕事は朝4時くらいから始まるのだと思う。こちらは日本のような昼間の学芸会のようなものはなく、両親の仕事の終えた夜に発表会となる。ということで今晩は夜遅くなるので早朝出勤は難しいということなのだろう、また、舞台終了後、子供とその感動をシェアしたいのだろう。さて、日本だと、どうだろう。ちなみにこのラジオ局はカナダの国営放送のような立場のラジオ局である。。

ホッケーママパパは会社を遅刻し、子供の早朝練習につきあう。また、早退し、子供の練習、試合にかける。年老いた親の介護のため会社を数週間休み、臨終まで看取る。誰も、仕事に支障がでるんじゃないか、、と、再考をせまるような発言は決してしない。もし、上司がそんな発言したら、それこそ人事問題になると思う。
先週の写真、かめがいっぱい日向ぼっこしてた
日本での公私の両立は大変だ。。。

神の雫コミックブックを読む

小雨から晴れ。

市の図書館のマンガセクションがどんどん拡張している。ワインのマンガ「神の雫」の英語版"Drops of God"5巻をいっきに読んだ(まんがは楽しい!)。この本のカテゴリーはグラフィックノヴェル。キーワードは、コミックブック、ワイン・ワイン製造、ワインテイスティング、ソムリエ、相続/継承、コンテストが並ぶ。図書館には5巻しかまだ所蔵されていないよう。

一昔前のマンガだと、全体がもっと真面目で、有名な父親の息子といわれると、メラメラと眉間にしわがより、それに反抗するのが主人公の性格だったような。このマンガの主人公は「ハイ、ソーナンデスー」って感じでかなり軽いね。

私の買うワインは基本的に15ドル以下のもの。とすると、日本円にして千円くらいのもの。ma
ま、適当に赤ワインを楽しむという感じ。20㌦以上だと手を出すのを躊躇するなぁ。ということで、私の選ぶワインはカナダオンタリオ、カリフォルニア、オーストラリア、チリのものもが主。

左からオーストラリア、カナダピリーアイランド、カリフォルニア、フランス。チリワインは今手元になし。フランスワインは新世界のワインと比較すると少し高く、めったに買うことはない。このムートンカーデットは友人からのもの。



Monday, April 21, 2014

"Homage to Catalonia", George Orwell,を読む

気温20度。
日本語訳は「カタロニア賛歌」で、ジョージオーウェルが自らスペイン内戦に一兵士として参加したときの記録。武器らしい武器もなく戦う惨めで退屈な塹壕戦の惨状とのんきなスペイン人の人柄に触れる。

合言葉が知的な言葉過ぎて、スペイン人の一兵卒には使いこなせないとか、怪我をし、病院に収容され、そこでの食事が皆平等でとても美味しいとか。スペイン人の素朴な姿が浮き出される。ただ、スペイン内戦というものに不案内なため、政治的な背景に混乱しながら読み続けて終わりにたどり着いたという感じ。そして、当初、本文に組み込まれていたにもかかわらず編集段階で取り除いた2章が最後に補足として続く。内戦の政治的背景に興味がなければ読む必要なしという文章で始まるこの2章はとても大切な2章だと思う。この2章を読んでモヤモヤしていた政治的な背景がいくらか明らかになったかな。

読書中に週末の新聞の旅行欄で Homage to Catalonia という同じタイトルでのカタロニア地方の旅行案内がでていた。地中海に面するこの地方は主にに英国人やバルセロナに住む人達に人気らしい。ダリの生地でもあるこの地方。行ってみたい!

イースターウィークエンドで近くの散策道を歩くと、かえるの大合唱。

Thursday, April 10, 2014

40歳での定年退職は不可能じゃない!

晴れ、雨。やっと気温が16度まで上がる。おとといは雪。

先日BBC のニュースをインターネットで見ていたら、40歳での定年退職は不可能ではない!という記事があった。大方は40歳越えてから、定年のことを考えるらしいが、とにかく若いころから退職プランをたて貯蓄をはじめることを強調する。そして、以下が目標達成のポイント

1.退職時点で住宅ローン等の借金は全て返済済み。
2.ライフスタイルを拡張しない。贅沢な車が必要か、4寝室もあるような住宅が必要か・・週二二回外食する、等々。
3.退職後の家族用の経費を考慮する。子供や孫は金食い虫。ファイナンシャルアドバイザーは、基本的に、子供や孫のために出費はするなと助言する。そんな余裕はないと明言する。ないものはない、という態度が必要。
4.退職後、職場を恋しがる退職者が多い。退職後の人生設計をきちんと立てる。
5.日本は平均退職年齢が69.1歳。アメリカ61歳。ルクセンブルグは57.6歳。
6.退職後は,ちょっとしたお小遣い稼ぎという感じでパートの仕事をしたり、自分の趣味と実益を兼ねるようなゆっくりなペースで仕事に従事するパターンが多いとのこと。完全退職という形にはとらわれない。

基本的に、退職時点で、借金がなく、基本的に質素な生活をエンジョイすると言うライフスタイルができていれば、早期退職は可能ということか。。

Gのお姉さん夫婦は、そのいい例かも。子供3人の5人家族。本当に小さい2階立ての家に住む。お母さんは専業主婦なので、お父さんの収入のみ(ちなみに、お父さんは普通の事務員)。親類から、アイツはケチといわれるけれど、彼にしてみれば、自分は55歳で退職すると決意し、その目標を達成するためには、ないものはないという態度貫徹。たとえば、市外通話は絶対しない、とか。つまり、無駄な経費は一切カットする。55歳で退職した後は、会社からの年金で毎月の経費を十分まかない、毎年10月から11月にかけて5-6週間ほどフロリダにもでかけ、夏をさらに数週間満喫する。

一方で、会社の同僚のライフスタイルを耳にすると、びっくりする。本当にお買い物が好きなんだな~と。でも、そんなにお買い物してどうするの~といいたくなるけれど、そこは老婆心と心に決めている。

幸せは物質的なものではなく、自分にとって人生で何が大切かということなんだな~と思う。私の場合、畑で野菜を耕して、新鮮な野菜を食べるということが大切なことかな。。質素だな。。。



Friday, February 14, 2014

スノーシュー

気温マイナス5度

誕生日の週の木曜日に有給をとっている。というのは、Gの同僚で友人のレックスも誕生日ということで、Gとレックスとリリーの4人(2カップル)で一緒にお昼と食べるというのがここのところの誕生日イベント。誕生日というのに、9時半にマッサージ、12時にランチ、2時に眼科、そして3時半にお通夜とゆっくりとすごすつもりの誕生日が、予定いっぱい詰め込んだ誕生日となる。

ついでに金曜日のバレンタインデイも有給をとり、はじめてのスノーシューに挑戦する。平日ということもあり、静かで人気もなく、これはこれからの恒例行事になるかもしれない。

月曜日は家族の日ということで祝日。5連休となる。
わたしのスノーシュー

アイスフィッシングの穴掘り

30cmくらい削ったンけれどまだ水にとどかない

アイスフィッシング


はろ~

Thursday, February 13, 2014

メットオペラ;ドヴォルザークのルサルカを観る

2014年2月9日(日曜日)、今日も雪。ソチオリンピックが始まった。

チェコの作曲家のドヴォルザークのオペラ、ルサルカは、美しいオペラでとっても良かった。好きなオペラはなに?と聞かれたら、ルサルカ!と答えるかもしれない。

今回の指揮者はモントリオール出身のヤニックセグイン。彼の指揮も大好き。現在はフィラデルフィアの常任指揮者にもなっている若いスター指揮者。なんでも交響楽団のもつ伝統的なスタイルを尊重し、かつ指揮者としてのヤニックのスタイルも引き出すことの出来る魅力的な指揮者らしい。なるほどうなずける。

絵画を思わせる古典的舞台セッティングのルサルカ。昨年ロンドンオペラハウスで遅まきながらのルサルカの初上演があったらしい。モントリオールの新聞ガゼットによると、この演出は、ザルツブルグ音楽祭で上演されたと同じもので、ここのところヨーロッパに蔓延している傲慢な知的主義を反映したものと揶揄している。なんでも水の妖精の姉妹は、売春宿で働く売春婦という役になっての登場だったらしい。いやはや。。。

オーストリアのザルツブルグ音楽祭では、画期的な演出のオペラが上演される。アナネトレブコの2007年のザルツブルグ音楽祭での現代版のラトラビアータは、シンプルで素晴らしいものだった。でも、先日フランス語のテレビ番組のオペラチャンネルを見ていたら、なんとフィガロの結婚が、コンピューターのあるオフィスで働くビジネススーツの男性女性で舞台が作られていた。げんなりして見る気を失いチャンネルをかえた。。


午後になってぼたん雪が降り始めた旧市街区

Saturday, February 08, 2014

夜のふくろう散策

先週の金曜日の1月31日、夜7時から9時までふくろうの散策会をやるというので行ってみた。この日は前日のマイナス25度とはうってかわってマイナス5度。夜の散策にはいい日和。

最初の30分ほどスライドショーでいろんなふくろうが紹介された。ふくろうって色んな顔していておもしろい。そのあと、自然保護センターで飼育しているふくろうたちの紹介。かれらは、怪我をしたふくろうたちで自力で生きていけないため飼育されている。
ミニミニふくろう、体調20cmくらい、年齢11歳とのこと


かなりぶれちゃったけど、この手のふくろうの顔が気に入った。正面から見るとハート型の顔で、どちらかというと災いをよぶ縁起の悪いふくろうらしい

そして、傑作は、30分ほどのふくろう探し。指導員がこのあたりでよく観るという場所まで歩き、ほうほうほう~って感じでふくろうの鳴きまねをする。そして、みなし~んとふくろうが返答してくれるかな~とじっと待つ。なんだか、こっけいだったけど、おもしろかったな。

ピカソに魅せられる




久しぶりの本格的な冬で、この2週間ほど毎日最高気温がマイナス15度から18度の日々が続いた。体感温度はマイナス35度なんて日も続いて、地方の学校は休みが続いたりしている。また、大雪の日もあり、道路は除雪が追いつかず、歩道は雪で歩けないほど。

雪の日の日曜日
まっかなカーディナルも小さなすずめやチクディがえさを求めて集まる




散策道は雪で真っ白


1920年時代のパリに魅せられ、ピカソの本にたどりついた。ピカソってやっぱり天才なんだと実感。子供のころからその描写のテクニックに優れ、基礎をしっかり学んだからこそその後のピカソがあるのだな~と思う。生きている限り、新しいことに挑戦するということが芸術家と。。たとえ批評家がピカソの作品に同調しなくても。。これって、マイルスデイビスが、言ったことと同じだ。