Sunday, July 29, 2007

またまたグレングールド




7月29日。晴れ、31度。ついに冷房稼動

グレングールドのお墓です。グレングールドの最初のマネージャーだったホンバーガー氏いわく、世界で活躍するピアニストがカナダトロントにやってきて、ホンバーガー氏に会い、グールドの最初のマネージャーだったというと、皆、必ずお墓参りを申し出るそうです。まず、墓地近くにある、グールドの元アパートの部屋で、一人ゴールドベルグ変奏曲を聞き、そして、お墓へ。ロシアのピアニストキーシンもその一人だったとのこと。この写真の場所に、キーシン他、世界に名だたるピアニストがお墓参りにきたと知るとまた感慨ひとしおです。

Saturday, July 28, 2007

Parry Soundへ一泊二日の旅;7月26日、27日

両日とも最高のお天気。

正午のピアノコンサートに間に合うように朝7時に家を出る。木曜日はベートーベンシリーズ。2時のコンサートは、ピアノの前進ピアノフォルテと現在のバイオリンよりも小さめのバイオリンでのベートーベンのバイオリン、セロ、ピアノフォルテのトリオでの演奏。

夜は6時半出発のサンセットディナークルーズ。8時53分に真っ赤な夕日が沈む。1テーブル2~5人で7,8テーブル。ポンポン船みたいな小さな船だったけれど、十分楽しむ。フランスからのご夫婦とそのどちらかの母親もこのクルーズに。お母さんと思われる女性は、ゆうに80歳は超えていると思われる。時々片手に杖をもって歩いている。この彼女、とてもシンプルな黒の木綿で、丸く胸のところにカットの入ったミニのワンピースを着ていた。靴は、白い履き心地のよさそうな靴。私も、80歳を超えても、自然な感じでこんな服を着ることができたら最高だな。。

クルーズ巡りは同時に小島や湖畔に面する高級別荘地巡り。夕日が沈むのをみて、自然を満喫。そして、別荘をみてため息をつくなんて変なものだと実感。

この旅で、私の夏もおわりかな。。

Festival of the Sound(音の祭典)、グレングールドの思い出

7月28日、2時
お昼のコンサートはバロック。バッハのカンタータとバイオリン、オーボエのコンチェルト。

そして2時からグレングールドの最初のマネージャー、Walter Homburger 氏を招いてのインタビュー。ピアノの周りにヒーターをいくつももってきて気温を41度くらいまでに上げてレコーディングしたというグレングールドの寒がりで有名な話。オペラにも興味があり、ピアノで弾いてみては、周りの人に、曲名と作曲家をあててみてというナゾナゾが好きだったという話。また、交響曲で、それぞれの楽器の担当するメロディも正確に覚えていて、ピアノで弾いてみせていたとのこと。そして、なんの曲でしょう?ってやってたらしい。グレングールドがコンサートをやめて、レコーディングだけに専念すると決断したとき、マネージャーのホンバーガー氏は、そんなことしたらレコードだって売れないよと忠告し、大反対したらしい。そして、彼の心配をよそに大ヒット。その度に、グレングールドはホンバーガー氏に「なんで電話していると思う?」と、茶目っ気交じりで電話してきたという。西側諸国からの最初の演奏家ということでソビエトに行ったのが59年。モスクワ、そしてレニングラード。コンサートは、連日超満員で、宿泊先としていた大使館、領事館前には、連日グレングールドの演奏のニュースを聞いた人達の人だかり、館内は花束でいっぱいになっていたということを、まるで昨日のことのように話していた。

インタービューの途中、レニングラードでの演奏の録音が流れ、また、運営陣かつクラリネット演奏家としてこの祭典に参加しているJames Cambell が、カナダ国営放送の音楽番組で、まだ学生時代に競演したときのものが写しだされた、その時の緊張と興奮、そしてナゾナゾクイズを語ってくれた。

会場は、湖に面した部屋で、150人くらいいただろうか。殆どが退職老夫婦で、かつ音楽に造詣が深い様子の人々だった。インタビューが終わって、駐車場にいたところ、このホンバーガー氏が一人で会場からでてきて、自分で自分の車に乗り込み去っていった。我々も一路トロントへ。明日の土曜日はゴルフ大会である。

Festival of the Sound(音の祭典), Parry Soundに行く; ゴールドベルグ変奏曲ライブを聞く

7月27日(金)晴れ、28度、日陰は心地よい

グレングールドのお墓参りをきっかけに今年がグレングールドの生誕75周年である事を知った。そして、トロントから約北に240Km、ジョージアン湾に面するパリーサウンドという美しい別荘地でグレングールドにちなんだ企画のある事を知り、1泊2日で車をとばす。めざすは、金曜日の10時半からのモーニングコンサートのゴールドベルグ変奏曲。カナダ人ピアニストソロの予定が、ニュージーランド弦楽四重奏団との競演。ピアノソロを期待していたので最初残念に思ったけれど、とても感動した。合奏あり、ソロありで、1時間半の演奏。最後のアリアはグレングールドの録音が流れた。ピアノの演奏を聞いて、なんて難度の高いテクニックを要する曲だろうと。。聴衆もかなりの集中力を必要とし、終わって興奮と感動と疲労感(カナ)。。NZ弦楽四重奏団はゴールドベルグ変奏曲のレコーディングもしているとのこと。最初のアリアでは、弦楽特有の滑らかさで、物足りないかなぁと思ったけれど、中半から後半にかけて、アレンジがとてもよく感動。

自分がゴールドベルグ変奏曲に挑戦してみようと思ったことがなんて向こう見ずなことだったかと実感する。

会場は、300人くらい収容できる室内楽に最適の音楽堂。7割は退職して夏の間パリーサウンドの別荘地に滞在していると思われる老夫婦。残りがその子供夫婦と孫がチラリといった感じか。この祭典は毎年23日間程の期間行われており、今年はなんと26周年目とのこと。リゾート地での音楽会ということで定着しているらしい。街のカフェに入れば、先ほどのバリトンとソプラノの歌手が家族とともに店に入ってくるといった感じである。

Friday, July 20, 2007

モントリオール、オタワの旅:首都オタワ

18日、曇り。激しい雨、雷

朝8時におばの家を出る。8時40分ホテルピックアップ。モントリオールで有名な24時間営業のベーグル屋に立ち寄り、レーズン、セサミ、プレーンのベーグルを2個ずつ買う。ユダヤ人街にあるこの小さなお店では、釜からベーグルがどんどん焼かれてでてくる。店内は、小麦粉の袋の山と、釜と、冷蔵庫、そして50年前から使っていると思われるレジのみ。1957年創業ということで今年は50周年という張り紙があった。そして、一路オタワへ。モントリオールからオタワというルートは走った事が無いので、ちょっと楽しみ。途中激しい雷雨にみまわれる。モントリオールから行くと、オタワを東から入ることになる。川沿いのドライブウェイを走り、航空博物館へ。総督邸をすぎ、首相官邸、日本大使館と贅沢な敷地にある大使館どおりを走り抜け、オタワ市内へ入る。パスタで腹ごしらえし、国会議事堂へ。ガイドツアーの待ち時間、議事堂の庭正面、裏を散策。あいにくの雨、でも、時計台タワーからの眺めはやはりいい。

オタワを5時半出発。通勤ラッシュにもまれ、オタワ川にそったプロムナードを走り、オタワを抜ける。川沿いに続く広い公園は、サイクリングに最適である。ナイアガラのワイナリーのドライブに少し雰囲気が似ているカナ。オタワは首都としての風格をそなえ、かつ市民が家族で集える緑の敷地がいたるところにある。土地の高低のあるオタワは冬は市民のスケートリンクとなるリドー運河が流れ、この運河は、今年、ユネスコの文化遺産に指定された。帰りは、裏道をとって、キングストンまででる。この裏道ドライブルートはリドー運河の延長ルートに沿って走る。ボートがあれば、オタワからずっと運河をたどってキングストンに出る事が出来ると昔カナディアンジオグラフィックで読んだ。一度やってみたいなぁ。

帰り道の高速運転は、花王石鹸のトレードマークそのものの三日月を正面に見ながらのドライブ。夜11時半に帰途につく。

思いがけずの一泊二日の旅。一人だったら2泊はしていたと思う。誰かのガイドをする時は、自分も楽しめるように、定番観光ルートプラス自分の行った事の無いところをこっそり入れる事が秘訣である。

モントリオール、オタワの旅:美しい街モントリオール

17日晴れ、気温34度。日に焼ける。早朝5時半に家を出る。

日本人一家をつれて急遽一泊二日のモントリオール、オタワの旅へと車で出かけた。往復約1600kmの旅。昔住んでいたモントリオールということで不案内ではないものの、モントリオール市内の運転はかなりあらっぽい。結構チャレンジングな運転である。去年来た時に気に入ったフレンチカナディアン系地区の美味しいカフェでランチ。モンロワヤールの山の上からのモントリオール市内展望。そして、初めて、車でヨーロッパのたたずまいの観光地区、オールドモントリオールに入り込んだ。ノートルダム教会を見て、のんびりと川沿いの広い公園を散策。恋人達が木陰で、重なり合って涼んでいた(?)。友人ご夫婦に「どお、あんなふうにして涼んだら?」と勧めたところ、ご主人は「イイワ」の一言、奥さんは「余計暑苦しい」でした。

夜は、お友達一家をホテルにチェックインさせて、私は、モントリオール郊外に住むおばさんのところに泊まる。5月末にトロントで会っているものの、一人住まいなので、とても喜んでくれ、夕食もご馳走を用意してくれた。夜は、昔話とオペラの話。この間亡くなったオペラ歌手ビバリーシルズの話に花が咲く。

モントリオールは本当に綺麗だ。トロントが大都市で、最近はおしゃれになってきたとはいえ、全く魅力を感じない。昔のルームメートだったナタリーの妹ベロニックに会いたかったけれど、バケーションということでモントリオールを不在にしていた。ベロニックはモントリオール交響楽団でビオラを弾いている。4月のカナダ横断演奏会で近くに来たときに、会場にお花を届けたところ、とても感激してくれた。ルームメートだったバイオリニストのナタリーはアリゾナにいるとの事。ナタリーとの連絡はまだとれない。

Sunday, July 08, 2007

Lost in the Middle, Malcolm Gladwell, を読む

予報は外れて雨。夕方から晴れ、ムシムシ。久しぶりに一日雨の音を聞く

"Brown Face, Big Master"の序文で、マルコムが1998年5月ワシントンポストに書いた記事があることを発見。早速オンラインで読み、異人種間結婚により生まれたマルコムの以外な内面を発見する。

マルコムは、英国人の父親のグラハムを盲目ともいえるくらい全く社会的偏見のない人物と評する。それ故、人種、社会的地位、国籍等関係なく、誰とでも知り合いになるという。ジャマイカ人の母親は見かけの違いは問題じゃないのよと明言する力を持つ人物と評する。そして、自分はその両親の両方の才能も持たずに、揺れ動いていると。

この記事を読むまで、マルコムもこの両親の才能を兼ね備えているとばかり信じていた。カナダの田舎で、人種差別に会わなかったのは確かと思うが、彼自身、白人の中にいると、自分の西インド諸島人の血を感じ、西インド諸島人の中にいると、自分の白さを感じるという。理論上分類学的観点から、異人種間結婚により、新しい人種のカテゴリーを生む事になるわけだが、かといって、その基礎となった人種の履歴を抹消できるわけではないと。中学高校時代、マルコムは中距離の選手で、当時、西インド諸国からの移民がオンタリオ州に大量にやって来た時期と重なる。州大会に行くと、今までに見たことの無い沢山の黒い顔の選手達をみて、とても親近感をもったという。そして、ついに、田舎の彼の陸上チームにも西インド諸国からの高飛びの選手が現れる、そして、ある日突然、予期せずして、「お前っていったい何なんだよ?」と聞かれ絶句したらしい。高校時代に一時アフロの髪型にしているのはこうした背景もあったのかもしれない。

マルコムは、どちらかというと父親グラハムの才能を持っていると思っていたが、どちらかというと、繊細な少女期を過ごした母親により近いように思えるようになった。

マルコムの両親の1950年代後半の異人種間結婚は、南アフリカでは、アパルトヘイトが猛威を振るっていた時代である。今でこそ、異人種間の結婚は日常茶飯事となりつつあるが、それでも白人と黒人の結婚は、白人と黄色人種のそれよりも、また白人と黄色人種の結婚は、黄色人種と黒人のそれよりも、社会的にまだ複雑であると思う。

高校時代に一時アフロの髪型にしていると上記に書いたが、その後その時期は明確ではないが、97年に1作目の「ティッピングポイント」を出版したときの初版には、保守的なとても短い髪型での写真が載っている。そして彼の2冊めBlinkの執筆にとりかかる数年前あたりというから2000年か2001年あたりから、再びアフロの髪型にしている。おそらく、この時期に母親ジョイスが信仰の意味を理解したように、マルコムも自分のアイデンティティを確立することができたのではないかと思う。

そして、今や、その風貌がカリスマ的なイメージを作り上げている事は間違いない。

Saturday, July 07, 2007

Brown Face, Big Master, Joyce Gladwell, を読む

晴れ、気温31度。明日は36度の予報

私のお気に入りのマルコムグラッドウェルの母親の自叙伝。1969年に初版が出ている。マルコムは、「僕の一番好きな作家は母親のジョイスグラッドウェルです。」と明言している。タイトルのBrownFaceはジャマイカ生まれのジョイス自身のことで、BigMasterはジャマイカで神の事を意味する。 植民地時代のジャマイカに生まれ育ち、英国人男性と結婚したジャマイカ人女性が、終始神の存在を問いかけ、信仰の意味を探る。そして、そこから、知識人として、女性として、そして母親としての自立を見出す。この自叙伝は3男のマルコムが生まれてまもなく執筆された。

植民地時代の中流階級のジャマイカで生まれ育ったジョイスの両親は教師でかつ牧師である。中流階級といってもお手伝いさんのいる生活は、私としては、それ以上の環境という印象をもった。ある意味で当時としては温室育ちの幸せな少女時代を過ごしたと思われる。英国のカリキュラムをそのまま実施する寄宿制の学校に送られ、白人、黒人、黄色人種のいる環境で育つ。ある日図書館で百科事典に目を通していると、ネグロ人種の劣等性という記載に出くわす。心に違和感を覚えながらも、静かに百科事典を閉じる。そして、その数年後、ロンドンで、その間違った社会通念に直面しそれがどういうことなのか実体験することになる。

終始、ジョイスは神の存在を問いかける。神が存在するのであれば、何故、試練を与えられるのか、と。そして、十字架は何を意味するのかと。そして、神は全知全能ではなくて、人々の苦しみを救えないがために、十字架を背負っているのだと理解する。これは、私にとっても明確な結論を示してくれた。

信仰をもつということは大切な事であると思う。残念ながら、私に信仰はない。無神論者であると思う。数年前にアラノンというアルコール依存症の家族の集まりに参加したことがある。集まりの目的は、お互いに傷をなめあうのでも愚痴をいうのでもなく、自分を見つめなおす事により、アルコール依存症の家族と対話していくというものである。宗教とは関係してないといいつつも、その根底にはキリスト教の精神が流れており、数度のミーティングで挫折した。神の存在、神の救済、というものが全く理解できないからである。熱心なイスラム教信者の同僚は、宗教について学べば学ぶほど、神の存在を益々信じるようになるよという。そして、信仰がないということは非常に気の毒なことであるといわんばかりに、私の無信仰に同情し、今からでも遅くないよ、力になるよと激励してくれる。医者になったいとこの一人は、彼の父方の父親から、医者になるにあたり、信仰をもつべきではないか、と助言されたと聞いた。彼はその後信仰をもっただろうか。

カリブ海文学、キリスト教信仰の分野で紹介されている。植民地時代の中流家庭に育ったジャマイカ女性の貪欲なまでの知識欲と、異国での生活適応、そして人種差別。是非、日本の女子大生にも読んでもらいたいと思う。

Sunday, July 01, 2007

ピアノのお稽古とグレングールド

カナダデー。明日は祝日。晴れ23度、風があって涼しい
ピアノの先生をしていたという奥さんと知り合い、ピアノのお稽古をした。今回二度目。前回のレッスン後の上達具合のチェック、というよりまだ不安な部分の確認。やはりまだリズムは崩れる。実はここ数ヶ月、ひょんなことから、バッハのゴルドベルグ変奏曲の楽譜を見つけ、弾いてみようという気になって始めた。最初のアリア、メロディーはよく知っているものの、いざ弾こうとすると、装飾音がいっぱいで指使いも難しく、難航。そこで、この先生に登場してもらった。高齢者を対象にピアノを教えていたということで、強引に教えないところがうれしい。あくまで本人の意思尊重。右手左手と弾いて、本人満足。そこで、「じゃぁ次は両手で弾いてみましょう!」なんて強気な指導をしてくれないところが、才能のない気まぐれピアノ愛好家には格好である。そしてお茶でも飲んでおしゃべり。作品が完成するまでには永遠の時間がかかるかもしれないが、自信喪失することは無いと思われる。でも、しばらくバッハはやめて、モーツアルトのソナタにしよう。。。と思い始めている(先生も楽譜を貸してくれたし。。)

ということで、今日は、以前から行きたいと思っていたトロント市内ど真ん中、贅沢な敷地内の霊園に眠るグレングールドのお墓参りに一緒に行ってきた。最近誰かが供えたと思われる一輪のバラと青いリボンの数本のバラの花束がアリアの音符の石碑の上にあった。続いて、カナダ放送局内グレングールドスタジオ前にあるベンチに腰掛けるブロンズ像のグールドを見る。オタワの公文書博物館に確かグールドのピアノの椅子が納められていたと思う。次回オタワに行ったら見てみようか。。。