Friday, June 27, 2014

若いカップルから夕食の招待を受ける

6月14日、

会社の同僚、ショエイブから、丁寧に夕食のご招待を受けた。

ショエイブはエジプト育ち、アメリカの大学、大学院でコンピューターサイエンスの修士を取得した29歳。はじめて知ったのだけど、16歳で大学に進学したとのこと。奥さんのハフサはパキスタン人で外交官の娘、31歳。二人は、エジプトでのアメリカンスクール時代からの友達。ソーシャルメディアの発達で、エジプトを離れてからも、スカイプ等々で常にコンタクトがあったという。

20歳以上も年が離れているにもかかわらず、私とGを彼らの自宅に招いてくれ、我々としては光栄のいたり。その旨伝えると、育ちのいい二人もこちらこそ、光栄にいたりです、、と返事が返ってくる。実は、私とショエイブは会社で気の合う同士なの。

ハフサはUCLA卒業の才女。そして、さすが外交官の娘、お料理の腕は最高。幼少の頃、トルコに滞在してたとのことでトルコ語も話す。実は、なんだかんだと6ヶ国語話せんるんだよ、とショーエイブが付け足す。

この日の夕食は、トルコ料理、Gのためにベジタリアン料理も用意してくれた。そして、最後に、はじめて作ってみたんだけどと言って、いちごのチーズケーキとトルコのお茶がでてきてた。みかけは、紅茶のようだけど、しっとりとした味わいで、トルコ料理のためのトルコ茶という感じ。お砂糖もミルクもなくそのまま飲む。とっても美味しくておかわりするほど。乾燥茶ではないという、きっと入れ方もかなりのコツがいるんじゃないかな。

二人とも話題が豊富で、歴史から文学、そしてコンピューターゲーム、と話が尽きない。そして、我々の話をじっくりと興味深く聞いてくれるところが、すごいなぁ~と感心する。時計のないダイニングルームでのひと時はあっという間で、そろそろおいとまします、といって車に乗り込み、10時半くらいな、と二人で想像すると、なんと12時半。全く、失礼いたしました!という感じである。

ショエイブにお礼を言うと、またまた丁寧にへフサからもメールが届く。この日曜日29日からラマダンが始まるので、ラマダン明けに、我が家に招待しようと思っている。なに、つくろうかなぁ~。


Monday, June 23, 2014

オタワに行く

6月20日ー22日、晴れ。Gの弟のダグの60歳の誕生日

オタワ近郊の養老院にいるGのお父さんを訪ねた。先に行って帰ってきたダグにどのくらいいたの?と聞いたら、60分くらい、いや5分x12回かなって。なるほど、Gのお父さんエリックに会って、ダグの言うことに納得した。5分ごとに同じ話をする。繰り返しの話は、
1.奥さんと同じ名前の女性がここにいて、このあたりの出身なのに、未だナイアガラに行ったことがないんだってさ
2.もう一度、ナイアガラに行きたい。車を運転しようと思えば出来るけど、列車でいく。最近免許更新したから、法的にはまだ運転できるからね、
3.いつも、近くの町まで歩いている。歩かないと足腰が弱ってしまうからね。

今年89歳のエリックは、アルツハイマーを若干わずらっているものの、肉体的にも精神的にも元気な老人。未だ、皮肉交じりのユーモアも健在である。養老院で見かけたほとんどのおじいさん、おばあさんは、ウォーカーを使って歩いているのに、エリックは、まだまだ背筋を伸ばしたままテクテクと歩くことが出来る。

今朝、久しぶりにみかけたコンドの住人のデービッドが少しやせて杖をついて歩いている姿に
びっくり。どこか具合悪いのかしら、、、って思うくらい。彼も80歳を越えている。

もし自分が90歳まで生きていたら、いや80歳でも、元気に自分の足で歩いていられるだろうか、またそうするためにはどうしたらいいのだろうか、、と考えた。

ひざの故障で、去年12月にスカッシュをあきらめ、この春、ジョギングもあきらめた。。。(悲)7週間の徹底したジョギングプログラムに沿って走ったら、本当に身体が締まって、足の筋肉もよみがえったのに、残念。

ということで、今は、ひざの筋力回復運動とヨガもどきのストレッチ、歩くこと、と畑仕事に専念している。

レストランのパティオでドイツーガーナ戦を観る人達

二冬前に逃げ回ったガチョウも子供ができていた



運河からみたホテルシャトーローリエと運河博物館、そして青い空

Saturday, June 14, 2014

マルコム、高等学校75周年同窓会に登場

6月6日金曜日、晴れ、

10日ほど前に地元の新聞でマルコムが高校の75周年同窓会にパネリストの一人としてやってくるという記事をみつけ、早速チケットを購入。

パネルは生徒から慕われた英語英文学の先生が進行役。パネリストはマルコムを含めて4人。うち3人は同級生。ブルースは新聞ニューヨークタイムズのエディター、マルコムは雑誌ニューヨーカーのライターであり5冊本を出版している。テリーはハーバード大学でソビエト・ロシアの歴史を教える教授。テリーのお兄さんはトロント大学ビジネススクールで教えると同時にビジネス界でもっとも影響力のある一人として名前があげれらている。つまり、この小さなな街の高校が輩出した自慢の同窓生。

この小さな街が彼らの成長にどう影響したのか。。。というのが主な質問。オンタリオの弁論大会でも大いに力を発揮したという腕白坊主3人は機知に富んだ回答をみせる。

1.都会から離れた小さな街で、住民がお互いを知っている。この子はどこそこの子、ということで、子供のいたずら、わんぱくにも寛容な社会
2.テリーとお兄さんのロジャーはメノナイトの家庭の出身。真理・真実が日々の生活の中に存在していたという。つまり神ということなのか。。。
3.大学で都会にでて、はじめてボタンダウンというシャツの存在を知ったというエピソードを語ったブルース。5人兄弟の末っ子だったため、新しい服など与えられることはなかったという。都会に出て、自分が田舎出身者と認識したようだけど、だからといって、自分の存在、価値観がゆらぐことは全くなかったみたい。物質的な価値観にゆさぶられないなにか確固としたものが既に育まれていたと思われる。

なぜ、同学年の3人が突出したのか、というのは不思議な疑問。たまたまの偶然なのか。テリーとお兄さんは遺伝子の関係だろうか。。体育館で行われたこのパネル、お隣に座った奥さんは、71年の卒業生。この同窓会のためにみな地元に戻ってきてますか?と聞くと、クラスメイト30人中20人は地元に残っているというではないか。農業主体のこの土地。やはり外に出るより、地元で家業を継ぐのが普通なんだと実感。

いつもこの街を訪ねると、馬車にのったメノナイトの住民と一般住民が全く違和感なく生活しているのに関心する。そもそもメノナイトの人達の定住が先だったと思うので、その基盤が守られているのだと思う。

でも、ここ10年、新興住宅地が広がり、この街に、新しい住民が急激に増えている。この不思議な融合関係が今後も保たれるか、ちょっと心配。
マルコムと進行役の先生