Thursday, December 27, 2007

引越し荷造り開始

12月27日、午前中しんしんと降った湿った雪が午後にはとけた

新居のペンキ塗りから一転して荷造りへ。明日一日あるのでどうにかなりそうな感じがしている。ここのところ自分に言い聞かせてきた言葉は、出来る事を一つづつかたづけていく、ってことかな。ま、焦っても仕方ないってこと。ハイ、これは仕事上でも言えてます。

荷造りにあたり、かなり古い服や小物を整理し、袋にまとめて、救世軍のお店に寄付にだした。救世軍の店にはなんでもある。寄付だけでお店の商品が揃うのだから、どれだけ一般人が物を廃棄しているかと思うとビックリする。やはり、自分としては、生活を拡大せず物を大事にするゾと再び心に誓ったところ。シンプルライフというのは簡単だけど、実践するのはそう簡単なことではないのである。

クリスマス後のゴミ回収日にはそれはそれは普段の3倍から4倍のゴミが家の前に並ぶ。ゴミ回収車はいつもより5時間ほど送れて登場、今、夜の6時半、リサイクル回収車はまだ現れていない。

Wednesday, December 26, 2007

例年並のクリスマス。。やはり予期せぬプレゼントが。。。

12月25日くもり。

あれほど、欲しいDVDとCDをリストアップし、その中の一つだけでもいいからね、と念を押したつもりだったのに、、、予期せぬプレゼントがやはりあった。なんせ、プレゼントを一人一人に渡し、皆の手にプレゼントが渡ったところで一斉に開ける。これの繰り返しで終了まで総合時間約1時間半強。このやり方だと、やはりみな同じ数だけのプレゼントがあることが望ましいということになるのである。

私の欲しいDVDとCDは結構マイナーでトロントのど真ん中のお店でも手に入らず、インターネット販売に頼るしかないことはわかっていたので、どうなるだろうか、、、と思っていたら、やはり他のもので対応されていた。例えば、グレングールドのモスクワライブCDはCBCスタジオ録音の6枚CDとなってプレゼントされた。ま、これはこれでよし。。

他のプレゼントの山と比べると、CDやDVDだけだと、やはりお粗末な形とサイズとなる。ということでか、大型のプレゼントが用意されていた。コーヒー好きの私のために、皆からエスプレッソマシーンを渡された!イタリア製でかなり高そうなヤツ。かなり美味しく出来るのでウレシイのだけど、紙のフィルターでチンタラと熱湯を回しながら作るコーヒーでかなり満足しているのが実情なんだが。。。以下に気なる項目を羅列。
1.良い点
美味しいエスプレッソが簡単に作ることができる
2.気なるところ
2-1: 台所のカウンターに何も置きたくない主義なのだが、、、これ小型テレビくらいのスペースを要する。
2-2: なんでも、年に一度専門店に補修点検に出すのが望ましいらしい。約40ドルなり。この田舎にその専門店なるものがあるだろうか。修理に持っていく時間と手間が面倒。

私の言い分に従うようかなり努力したんだけど、買わずにいられなかったのよ~とのこと、来年も引き続き、CDとDVD以外の形の残るもの買っちゃダメよっって、明確に言わなくちゃ。

Monday, December 17, 2007

家が売れた

12月17日、積雪5cm。

家が売れた。
ようやく”SOLD”のサインが、家の前に掲げられている売出しの看板にはられた。買い手のオファーを受けてサインしてから約2週間強。今日、無事家の最終点検が終わり売却となりました。疲れた。。。結局、オープンハウスもせずに売り出してから2ヶ月弱で決定。受け渡し日は1月11日。これで、本当にショールームから抜け出す事ができる。。。今日、早速不動産屋のメアリーはステージングに使った小道具を片付けていった。

でも、これからが本番。コンドミニアムの受け渡し日は実は明日で、これから引越し準備と片付けの始まり。物を運び込む前に壁の塗り替えとカーペットをはがして床を張る予定。うまくいけば28日か29日、もしくは31日午前中に引っ越したいところだけど、どうかな。コンドに移るのは運ぶものが限られているので目途がたつのだけど、この家を空っぽにするというのが果てしもない作業のように思える今日このごろ。いったいどれだけゴミを排出するのかと思うとぞっとする。

もう、物はふやさないと誓う!!

Sunday, December 16, 2007

メットオペラHDシーズン開始

12月16日、大雪、積雪25cm。雪かき2時間。斜め向かいのおじさんが除雪機で手伝ってくれた。これがなければさらに小1時間かかっていたかな。

普段のご近所との接触や会話はかなり限られているのだけど、大雪の中の雪かきとなると、ご近所皆がでてきて不思議と会話が生まれ、助け合いの精神も垣間見られる。なんとなく皮肉だ。

昨日は、今シーズン最初のメトロポリタンオペラのHD鑑賞。ロミオとジュリエット。ストーリーが単調というか知り尽くされた悲恋物語だったせいか、まぁまぁ、だったかなというのが印象。前回のシーズンは毎回フルエルほど感動したので、待ちに待ったシーズン開始ということで期待が高すぎたかも。今回はフレンチオペラで、やはりオペラはイタリア語だな、と思った次第。でも実はワーグナーのオペラも好きなんす。

去年の大成功を得て、今シーズンは地元の映画館でも上映。去年は車で20分強、雪の日などちょっと行くのをためらう事もあったけれど、今回は車でわずか5分。ここは、どちらかというと労働者の街なので、どれほど観客が集まるかなぁと思ったけれど、クリスマスシーズンということもあり、やはりガラガラ。去年足を運んでいた映画館はインテリの住む街で、中盤から劇場内の2つのスクリーン上映。それでも両方満席という状態。若い劇場マネージャーが、今後の上映を続けるためにも是非友人知人を誘ってきてくださいと、訴えていたのがなんとなく痛々しく、地元での上映継続を不安にさせられたところ。確かに土曜の午後、4時間から5時間オペラを観に来るほどの暇人はよっぽどであり、かなり限られているのである。

次の上映は元旦のヘンゼルとグレーテル。労働者の街の住人は明日からまた仕事だといって、オペラを観に行くだろうか?

Monday, December 03, 2007

引き続き簡素生活の進めと実践

12月3日、夜中に雪上車がきて、ドライブウェイから路上に出るところに雪のブロック。出勤前に15分雪のけ。重くて、シャベルで拾い上げる。イテテ。。

昨日の本に触発されて、今年実践したことは、以下のとおり:

1.タイムマガジンとエコノミストの購読を中止
タイムは長年購読していて、雑学知識を入れ込むのに最適だった。特に芸能欄とか、アート情報とか。エコノミストは噂どおりかなりかたい。。世界の経済情勢を把握するのに結構な雑誌との評判の雑誌。でも、私レベルでは、タイムを5割読み込むとすると、エコノミストは2割か3割しか読み込んでいなかったと思う。おもしろい記事はかなりあるのだけど。

2.地元日刊新聞の購読の中止。
あまりにもローカルで、地元新聞を読むとこの地が世界の中心という錯覚を覚えるのに恐怖を感じた。。紙面を多くしたために、写真が馬鹿でかい(なんとなくイヤ)。何度も苦情をいったのに配達人が変わるたびに、玄関先からドライブウェイに新聞を放り投げられ取りに行くのが大変。今の会社で新聞を読む人口はかなり低いと見積もっている。そう新聞を読まなくても生きていけるのである。

3.テレビの接続を絶つ
ほとんどテレビを見ない状態だったし、別に悲しい世界情勢を知らなくても人間生きていけるから。他に面白いという番組もさほどなし(契約チャンネルの数も最低だった)、日本と違って長ったらしいコマーシャルや長ったらしいニュース解説にも辟易していた。ニュースの情報元は、インターネットとラジオのニュース。

4.その結果;プラスマイナス
小説を読む時間ができたというのがプラス。実際、毎日ローカルだなぁと思いながらも新聞を読んで、雑誌に目を通していると、現在の英語を読む速度では、小説など読む時間がなくなっていた。でも、プラスあればマイナスあり。地元のスター(?)マルコムのローカル版ニュースから遠ざかった。例えば、地元の大学で名誉博士号をもらうなど大型写真つき。でも、とりあえず、会社の同僚が、私が購読を止めたのを知って、高く売ろうかしら、、などといって渡してくれる。

5.今後の方向
実は新聞の購読を再開しようと思っている。平日は地元新聞、土曜日は全国紙(これは、土曜日コーヒーを飲みに行くところで目をとおしている)。というのは、なんとなく社会から疎遠になっているという不安に最近かられているからである。そして、やはり新聞に目をとおすことが好きだ。日本の家族親戚はみな新聞が好きだった。地元紙の社説欄はニューヨークタイムズやワシントンポストなどのものを掲載していて、レベルの違う視野にたったものを読むことが一応出来る。そして、木曜日はニューヨークタイムズからの流行情報。これは最近の社会傾向をとらえていて時にあほらしくもかなり新鮮。
そして、ローカルニュースは3面記事みたいなもので、悲しくもおもしろいのである。

Sunday, December 02, 2007

"Not Buying it, My year Withoug Shopping", Judith Levine

12月2日、昨晩からみぞれ交じりの積雪15cm。朝一時間ほど雪かき。

実は去年数回読んだ本。再びクリスマスシーズンを迎えるにあたってまた借りてきた。NYCとベルモントを基点にしているジャーナリストがパートナーのポールとともに自分達の消費習慣にチャレンジし、この1年嗜好品は買わずに日用必要品だけの買い物に徹底すると宣言。そして、その苦悩(?)と葛藤、そして市民社会への目覚めを日記形式で記す。

まず、買い物に行くと、これは本当に必要だろうか?と自分に問い掛けることを心がける。これは好きな映画、CD、雑誌の購読、洋服、そして食料品等々に及ぶ。数ヶ月するとれがかなり苦痛になるようだ。欲しい、、、でも、、という葛藤と同時にアホラシイ自問にうんざりするらしい(これは3ドルと2ドルの同量の缶詰に出くわしたときにも及ぶ)。

結果、毎回のスーパーマーケットでの消費金額が大幅に減り驚く。買い物をするという時間が大幅に削減されて、その時間がボランティア活動等他に利用された。更に、身近にありながら利用する事のなかった図書館等の公共施設等への利用によって、自分達の一市民としての意識が高まり、持つものと持たないものによって差の生まれる個人所有偏向社会(確かに所有する事はウレシイ)からイコール共生社会の存在に気がついた。中でも美しくも苦肉のエピソードは彼女のバレンタインデーのポールへのプレゼント。赤い紙を利用して沢山の赤いハートを切ってあふれんばかりにマッチの空箱に詰め込んだ。なかなかオリジナリィ溢れるステキなものだと思うのだけど、日本の感覚だと子供のパパへのプレゼントだろうか。。。

さて、例年クリスマスはいとこ一家と過ごすのだが、そのプレゼントの多さに驚く。そして、ブランド志向の母親同様テーィンエージャー達はプラダ、コーチとかブランド品をわんさとプレゼントされ、さらにポータブルDVDプレーヤーだ、コンピューターだ、テレビだときりがない。クリスマスツリーの下には総額数千ドルの品が収まりきらずにリビングの床にも裾野を広げている。それはそれで楽しい思い出でよいのだが、毎年プレゼントする側は何をプレゼントしようかとかなり悩む。。現に今、悩んでいる。これは、逆にも言えて、彼らが私へのプレゼントにも悩んでいるのがはっきりとわかる。結果、去年とおととしと続けて、沢山のプレゼントのほかにもおしゃれなブティックのショッピングカード(商品券みたいなもの)をもらった。ジュディスとポールのごとく物を増やさないというダウンサイズ傾向にある私は、なんとその2枚のカードを未だ使っていない。一つのお店はもう閉めたそうな。。えええ、、とショックが大きかったが、この親会社のブティックの方でまだ使えるとのことで安堵。でも早く使わないと、そのオシャレなお店で売っている服など着ることのできる年齢ではなくなってしまうかもしれない。。このカードを使って今年のクリスマスギフトを。。などとも脳裏をよぎるが、なんとなく情けないというか非常なる矛盾を感じる。

ということで、今年は自分から欲しいCD、DVD、本を希望するからと伝えた。そして、但し書きに、そのリストに並ぶ10くらいのものが全部欲しいのではなく、その中の一つでもいいこと、そして、他には何もいらないからね!という念押しが必要に思う。皆買い物という社会行動が好きなのである。

Sunday, November 25, 2007

住宅売出し中

晴れ曇り、プラスの気温

家をセールに出して約2週間。5,6組くらい不動産が予約を入れて連れて来ているだろうか。来週はオープンハウスを予定していて誰にでも一般公開する。最近は家を売りに出すと、単に整理整頓をするだけではなく、ステージングということを勧められる。つまり、家を探している人がもし自分が住むとしたら。。。とうまくイメージできるように家の中を日常生活目的からショールーム目的にイメージチェンジするものである。単に余分なものをしまいこむだけでなく、色をそろえた布団カバーに変えたり、カーテンにこったりする。格好の道具はイロイロサイズの絵や鏡。といういうことで、この週末、不動産やのメアリーと約3時間、くぎをうって絵をかけたり、カーテンをタラ~とかけたり。ちょっと絵がかかりすぎじゃないかな、とも思うのだけど、ま、いいか。ベッドルームはちょっとしたギリシャオリンピア風というかクレオパトラ風というか、枕がいっぱいベッドの上にある。書斎の本も片付けたほうがいいということで(広く見せるため)、ダンボールに詰め込み、この12年ほど使っていた手作りの本棚を分解した。ポーランド人のジョゼフおじさんがベニヤをもってきて作ってくれたものである。引越しのたびにジョゼフ糊とよんでいた強力接着剤でくっつけていたがもう寿命。

家セールということで、今までのように簡単に家を出る事が出来なくなっている。出かける前には、ベッドメイキング、洗面台の上においてあるものを全て中にしまいこみ、台所も布巾やスポンジは目のつかないところに、そしてオシャレなタオルをかける。食器を流し台に置きっぱなしにしていくなどもってのほか。

メアリーは地下のペンキ塗りとカーペットを敷き詰めることも勧めているけれど。。とにかく来週のオープンハウスには間に合わない。この週末は2組が見学に来て、この週末に手ごたえがあるのでは、、、なんて予感がしたけれど、今日曜日の夜7時半。今のところ連絡なし。

予算に見合ったこれだ!と思う家に出会うのは運命的な出会いと似ている。タイミングも大切だということもよくわかっているので焦るわけでもないのだけど、、早くショールームから抜け出したい。。

Wednesday, November 07, 2007

マルコムグラッドウェル、ニューヨーカーに執筆再開!

昨日初雪。今日から手袋マフラーで出勤

マルコムの3作目の本の目途がついたとのことで、マルコムが、ニューヨーカーにまた書き始めた。彼のブログも5日から再始動。早速35人が、やっともどってきた!とか、もうブログはやめたのかと思ったとか、最新作を楽しみにしている、とかいうコメントを載せていた。そして、ワタクシメも36人目にコメントした。やはり、彼の書いたものを読むと、親近感がわく感じ。彼の書いたものを通してしか、意思疎通(といえるだろうか?)が図れないのだから。この1年はホントつまらなかったというのが本音である。

今日、パキスタン人の同僚に、お国に家族は残っているの?心配ねぇ、と言ったら、母親とお姉さんが来週パキスタンに帰国するとのこと。なんでも、こうした非常事態の真っ只中のほうが、反政府派じゃない限り、よっぽど安全なのだそうだ。不思議でしょ、と言われたけれど、なんとなくわからないでもなく納得。メディアに翻弄されるべからず、というのが今日の教訓かな?

Saturday, October 20, 2007

こことのところの夕食

曇り、晴れ、強風時速35km、気温20度、明日は24度

10月17日  すき焼き
10月18日  同僚達とビールにナッチョにチキンウィング
10月19日  ステーキ
10月20日  寿司(ネタを買ってきて作る)

毎日スゴイメニュー。今日は寿司ネタを日本食料品店で買ってきて寿司をにぎる、美味い!!中国系スーパーマーケットでの寿司は、まぁ、家庭で食べるのならこの値段と味で十分かもしれないな、、な~んていっていたのに。あのシャリはなっていない!って。今日のシャリは、1.お米を洗ってから30分水をきってザルにおく、2.昆布を入れ、水を入れて30分ねかす、3.昆布を取り除いてたく。そうすると、やはりお米一粒一粒がしっかりたって、おいしいシャリとなりました。日本人の本心を読むのって複雑。

Tuesday, October 16, 2007

10月15日、16日の夕食

曇りがち。

10月15日  マツタケごはん!!マツタケおすいもの。うま煮(マツタケは毎年5本ほど手に入る!)
10月16日  マツタケごはん、お豆腐のお吸い物、うま煮、やきなす、キャベツと大根しその葉のおつけもの

マツタケご飯はうまい!キャベツと大根のお漬物は明日の方が味がしみる、一人で入る時間が長いとストレスがなかなか発散できない、等々。日本にいるといちおうストレスがたまるそうだ。

Sunday, October 14, 2007

マルコム、ウォータールー大学フォーラムに登場

今日から3日間ウォータールー大学で2017年におけるビジネス環境といったテーマでシンポジウムが開かれている。明日の2日目は9月に名誉博士号を受け取ったマルコムがトロント大学ビジネススクール学長とRIMの取締役を相手に2度にわけて午前と午後にインタビューする。初日と最終日の参加費が300ドルそこそこなのに、明日2日目は1500ドル!いくらマルコム見たさでも、高すぎて行けない。。先週はニューヨーカーフェスティバルでアイビーリーグの可否についての討論会。以前書いたように3作目の本を執筆中とのことで今年はニューヨーカーには全く書いていない。でも、講演とかインタビューとかには顔をだしているよう。今晩はきっとElmiraの自宅にいることだろうけれど、今回はハローなんて訪ねて行く勇気はなし。前回は名誉博士号ということでお祝いという名目があったけれど、今回は何も理由がないものねぇ。

ニューヨーカーフェスティバルのヴィデオがインターネットにアップロードされ始めた。サルマンラシュディとオーハンパムクの対話をみると、サルマンラシュディの話の魅力にとりつかれる(結構他愛もないことを言ったり、読者をからかう態度を見せるところがおもしろい)。もっと堅物で偏屈な作家かと思ったけれど、トルコ人ということで英語に少しハンディキャップのあるオーハンのほうが偏屈という印象を受ける。ということで、サルマンのミッドナイトチルドレンを読み始めることにした。

まもなく、この間読み終えたミドルセックスの作者や映画awaking のモデルとなったオリバーサックスのヴィデオが流されるはず。マルコムの討論会での健闘を見るのと同様に心待ちにしている。

ミュージカル「オクラホマ」を見る

ストラットフォードフェスティバル

1800人強収容の劇場でミュージカル。楽しかったけれど、う~ん、それほど感動せず。話が単純だったからかなぁ。12月から去年に引き続きニューヨークメトロポリタンオペラのハイビジョンライブが最寄の映画館でライブ上映される。去年味わったこのオペラの感動と比べると雲泥の差。やっぱりミュージカルとかお芝居とか私には向いていないのかも。

12月にロミオとジュリエットで今シーズンのハイヴィジョンライブが始まる。まもなく、会員限定のチケットの前売りが始まり、その他一般は11月9日から。売り切れになるかもと思いつつ会員にはならずに一般発売日をのがさないようにしているところ。

10月13日、14日の夕食

10月13日、晴れ曇り晴れ曇り。強風。10月14日、曇り晴れ、穏やか

10月13日  (最後の残りの)茶碗蒸しとおでん、三度、中国系大型スーパーで買った寿司セット(小;いなりとかっぱ巻が主)。
ついに今回の買い物合計が60ドルにおさまる。和菓子が食べたくなったらしく、中国系スーパーで見つけた日本製の8個詰の最中を買う(私の目にはひどくまずそう)。硬くて最中とはいえないなぁと文句をいいつつ味は悪くないとか言って食べている。帰りに春先にオープンしたパンやでコーヒーを飲む。「お客様との信用関係をもとに営業しております」とのことで、会計をする人はなし。バスの整理券入れのような入れ物にお客が各自合計してお金を入れるシステム。「当店には電話もございません」と書いてある。パン職人はひたすら製造に集中している。もちろん「ご質問があればなんなりとお尋ね下さい」とも書いてある。焼酎は満腹で飲んでもおいしくない(普段は、夕食時に一杯、就寝前に一杯)とかで、2杯夕食時に飲む。レッドソックスの試合開始前に眠る。

10月14日 釜揚げうどん、昨日のいなりとかっぱ巻、日本酒と焼酎
朝起きて日清の旭川ラーメンを焼き豚入りで食べて昼寝。夕方6時過ぎまで空腹にはならなかったよう。ということで、さっぱり釜揚げうどん。
農地が広ければ日本と違って家畜の飼料も自前でできる、来年の北京オリンピック、10年の上海万博の後世界経済はどうなるだろう、とか。

Friday, October 12, 2007

「半島を出よ」、村上龍、を読む

成田空港でこの間買った本。2005年、まだ小泉政権の頃、日本の将来を危惧して書かれた超近未来の話。日本経済が破綻し、日本は世界の孤児となっている。世の中の常識というもののズレの指摘。一見健全な家庭のようで破壊している家族関係。相変わらず無能な政治家、閣僚。

人間とか社会って、時代とともに次第に凶暴化するのだろうか、とここ10年の凶悪事件のニュースを聞くと考えさせられる。そして、あのコワイ、スタンレーキュービックの「時計仕掛けのオレンジ」を思い起こす。

去年のノーベル文学賞作家の本”SNOW”を読み終えないうちに、今年のノーベル文学賞作家が昨日発表された。一気に秋が深まったところで、SNOWを再び読み始めるか、それともやはり冬に読むのがふさわしいのか。。。

村上の本は結構分厚い上下の文庫で、毎日寝転がりながら読んでいたら、左の肩甲骨から首の筋がおかしくなった。

10月12日の夕食

曇り、時々晴れ。最高気温14度。

10月12日  サトイモのムニエル風あんかけ(?)(今日テレビの料理番組でみたらしい)、もやしおひたし、豚肉三枚肉しょうゆみりん炒めをレタスに、お味噌汁。今日は金曜日ということで赤ワイン。おなかいっぱい。。。。

夕食の残り物をかろうじてお弁当に持参し片付けているものの追いつかず。明日の土曜日はどんな買い物になることやら。。料理用ということで安い赤ワインと白ワインを買ったけれど、ワインを使うお料理なんてするのかなぁ。。。

今日は私の方が先に少し酔っ払ったかも。。レッドソックスの試合をみながら日経、そして焼酎、就寝。。

Thursday, October 11, 2007

10月11日の夕食

気温15度。夜は3度。暖房のスイッチを入れる。室内温度21度に設定。

10月11日  昨日の茶碗むし、にらの卵とじ、シラス大根卸し、暖か冷麦お味噌汁椀に一杯

お昼もしっかりと前の晩の残りを食べているせいか、会社での果物間食が減ったよう。今日は、風がなかったとかで家の前の通りを2周したとか。3周しようかと思ったけれど、ご近所に怪しまれるかと思い、逆方向へ少し歩いたとか(怪しまれないって!)。デパ地下の魚屋ではお得意さんになっていて、いいものを結構まけてくれるらしい。お兄さんの家族にはイロイロお世話になっているので、時々一個500円くらいするケーキも10個くらい買っていくとか。冷麦、揖保の糸はうまい!!という会話。明日から松坂のレッドソックスの試合。松坂の登板は月曜日の3試合目。

Wednesday, October 10, 2007

10月10日の夕食

最高気温19度。夜は6度。月曜日は30度を超え冷房稼動したのに。もう寒い。。

10月10日  待望の茶碗蒸、祖母伝来の具盛りだくさん、冷麦(そうめんがなかった)、甘栗、たけのこ、しいたけ、さやえんどう、鶏肉、ふ。特に麺が底に若干入るのは祖母のオリジナル。

  茶碗蒸はうまい、友人のMは茶碗蒸の底のソーメンに感激し茶碗蒸の入れ物の半分くらいまで入れてはどうだろうかと提案したとか、オハイオ州での高校生銃乱射、クライスラースト突入、今日は午前中家の前のとおりを散歩に出たが寒かった、公園では子供が冬のラックをきて遊んでいた、という会話。お湯割焼酎はコップに一杯、もう一杯といきたいところだが、寝る前に飲むとのこと。そして日経に向かう。

Tuesday, October 09, 2007

10月9日の夕食

雷雨、気温23度。退社時19度、夜は9度にまで下がるとのこと。今週はもう20度を越えないらしい

10月9日 おでん
      なべはやはりうまい、という会話。韓国人は肌がきれいだとか、太ってないとか。。山崎パンが1割値上げするとか。。

Monday, October 08, 2007

10月8日、感謝祭祝日に食べたもの

晴れ、気温30度。明日から平年並みに戻るらしい。最高気温は20度以下

10月7日  ギンダラ入り湯豆腐。日本酒
          6時半からヤンキースの試合放映ということで6時に食事
10月8日  カレー、もやしおひたし、昆布の甘辛煮、とうがらしのしそ味噌巻(辛すぎ、数日おくと辛さがとれるとか。。。)
        七面鳥は昔どこかのパーティーで食べた事があるし余りなぁ、ということ。二人で一羽もたべきれないしね。

Saturday, October 06, 2007

今日のメニュー

晴れ、曇り、雷雨、気温30度、室温27度に設定の冷房が稼動

日本食料品店、中国系大型スーパー、そして酒屋と計200ドルの出費。食材全て使いきれるのだろうか。。。

10月6日 日本食料品店で買った刺身盛り合わせ、かっぱ巻、いなり寿司、日本酒。デザートはシュークリーム。うーん、おなかいっぱい。。。

Friday, October 05, 2007

昨日、今日の夕食

晴れ、気温28度。この週末はカナダ感謝祭で連休。日曜日は30度になる予報

10月4日 鳥桃肉の甘辛煮、キャベツの千切り、じゃがいも・鶏肉・キャベツのスープ
10月5日  焼き豚スライス、サツマイモのしょうゆみりん蒸し、レタスサラダ、きのうの残りスープ、さやえんどうのからし和え。金曜日なのでビール

Wednesday, October 03, 2007

「博士の愛した数式」、小川洋子、を読む

9月中旬から下旬にかけて法事のため帰国。以前から読みたいと思っていた「博士の愛した数式」を読んだ。そして、吉本ばななの「TSUGUMI」も読んでみた。ばななの本を読むのは初めて。好みとしては、小川洋子に軍配。彼女はPaul Austerやカナダの叙情的小説を書くAlistair MacLeod の作品が好きだといっている。外国語で出版されているか調べたところ、フランス語で"La Formule preferee du professeur"、英語では"The Gift of Numbers" と訳されて出版されている。アマゾンではフランス語では購入できるものの、英語版はまだのよう。

実は、英語版がでたら、数学者のマルコムのパパに送ってあげようと思っている今日この頃なのであ~る。

10月3日の夕食

曇り晴れ、24度。

けんちん汁、豚バラ肉の甘辛煮レタス包み(というのだろうか。。)、ふろふき大根、キュウリの胡麻和え。明日のお弁当はまさしくこれと同じ。

Tuesday, October 02, 2007

最近の夕食

曇り、気温22度

9月28日   もやし酢のもの、ナス田楽もどき、ゆでたまごとタマネギのマヨネーズ和え
9月29日   T&T(中国系大型スーパー:現在郊外から街中に進出し、カナダのスーパーを脅かしている)でお寿司を買い持ち帰って食べる。まぁまぁ。
9月30日   すきやき
10月1日   肉じゃがうま煮風、キュウリ味噌酢、もやしお浸し、けんちん汁
10月2日   すきやきパート2:最後はうどんすきやき。きゅうり胡麻和え

Sunday, September 09, 2007

"Middlesex", Jeffrey Eugenides, を読む

昨日晴れ、最高気温31度、今日は最高気温21度で一日静かな雨

Middlesexは主人公が子供の頃、家族ともども引っ越したデトロイトにある自宅の通りの名前。そして主人公のカルは男女両性を備えている。もし、これが日本の小説だと、社会状況と並行して、カルの肉体の変遷と精神心理を功名に表現し、カルの1世代の話となると予想される。でも、この小説は、カルの祖父母の第一次世界大戦中のギリシアの村の状況、命からがらの出国、そして新大陸アメリカデトロイトでの祖父母、両親、そしてカル、のギリシア移民三世代にわたる話となる。カルの祖父母と両親が、アメリカで礎を築いていく話は全ての移民に当てはまり、移民国家そして新大陸アメリカならではのものと思われおもしろい。また、デトロイトという自動車産業と人種問題の街の様子にも興味を持たされた。

映画にたとえると、ゴッドファーザーの構成でいけるかもしれない。パート1は、カルの女の子から男の子となる17歳までの話(アルパチーノ扮するマイケルがゴッドファーザーとなるまでの話)。パート2は、祖父母がギリシアからアメリカへ移民しアメリカでの基礎を築く時代(ゴッドファーザーのアメリカ移住とマイケルが生まれるまでの話)。二世代あとにカルが男女両性を備えて生まれてくる鍵がこの時にある。パート3は、現在の41歳のカルの話。つまり17歳以降の話。小説では片鱗しか語られていない。

補足だけど、日本の小説は1世代の話、もしくは今17歳の話、はたまたこの1週間の話といったものが多いように思う。村上春樹しかり、川上弘美しかり、小川洋子しかり、2005年あたりに読んだ芥川賞の「蛇にピアス」「蹴りたい背中」等々。これはこれで、かなりおもしろいけれど、こうした背後には、既に定着している核家族化、そして最近増えていると感じる単身赴任による家族分散の生活があるのではないかと思われる。今、日本に出稼ぎできて結婚等で日本に定着した家族の1、2世代後の人たちの書く小説が現れたらおもしろいかもしれない。

Wednesday, September 05, 2007

ニューヨーカーフェスティバルプログラム速報

晴れ、気温25度。明日は32度の予報

ネット情報特別メンバー宛に、今年のニューヨーカーフェスティバル(10月5-7日)のプログラム詳細が届いた。3冊目の本を執筆中で多忙のマルコムの名前はないのではと思ったけれど、土曜日の夜の「アイビーリーグは消滅すべきか」という題でAdam Gopnik (どういう人か不明:勉強不足)と討論するらしい。インタービューするマルコム、インタビューされるマルコムは見たことがあるけれど、デベートする姿はまだ見たことなし。知的に論戦する姿に興味あるなぁ。ちなみに、マルコムは、以前、アイビーリーグに関して(特に白人主義をつらのこうとするハーバード大学の事実)の記事をニューヨーカーに書いている。(入場料20ドル)

でも、興味を引いたのは、作家同士の対話セッション。6セッション予定されていて、一つはサルマンラシュディ(Salman Rushdie)とオーハンパムク(Orhan Pamuk,2006年のノーベル文学賞作家)二人の対話。サルマンラシュディの本はまだ読んでいないのだけど、社説、論説記事等を新聞で読み、非常に明確な文章で魅力を感じ、是非、彼の本を読みたいとうずうずしているところ(実はMidnight's Children が手元で待っている)。パムクの本は半分読み始めていて中断。冬が来るのを待っているところ。というのもSnowという題の本で、終始雪景色の情景が川端康成の冬の情景描写のように流れ、真夏に読むには不適と判断。寒くなったら、再開予定(入場料25ドル)。もう一つの作家同士の対話は、LorrieMoor(不明:勉強不足)とJeffrey Eugenides。実は今Jeffrey Eugenidesの本を読んでいるところ。毎日、早く家に帰って読みたい衝動に駆られている本。その感想は週末にかけると思う。とても強烈な本。その名も’MIddlesex"(入場料25ドル)。

行きたい!チケット発売は9月15日正午。入場券オンライン発売はニューヨーク都市区のみ。後は、フェスティバル本部での購入か電話での購入。去年の場合、電話はずっとお話中で繋がらず、人気のものはすぐさま売り切れるというのが実態である。

実は、このネット情報特別メンバーもアメリカ国内の人しか対照にしていなかったのを、編集者にメールして無理やりメンバーにしてもらった。。

行きたいなぁ。。10月のこの週末はカナダの感謝祭で3連休、でも、他の予定が入っていて。。。。ウーン。

Sunday, August 19, 2007

Rと消費文明

Rはポーランド人の友人。彼も流石ポーランド人!という感心の的の一人。

今日のRとの会話で、シンガーミシンの話(一応ブランドに凝っている)。私がミシンを買おうかなと思っているというと、今直しているのがあるから買うなという。なんでもサルベーションアーミー(救世軍)から中古を安く買ってきたもので、もう少しで修理が終わるというもの。そして、過去の話に。なんでもカナダに来てまもなく、友人のFとガラージセールを回っていたら、シンガーミシンが35ドルとあり、彼らの目からはどこもおかしいところなし。ほんの少しボビンケースのあたりを直せばいいことだったらしい。お買い得という事で購入し、ミシンは別れた奥さんのもとへ。また、すぐさま次のシンガーミシンをガラージセールで目にする。使用説明書付きの新品。なんでもキシキシして回りがよくないとのこと。提示金額は5ドル、どうみても前の35ドルのものよりも新品で、耳を疑い50ドルかと思い(Rの英語は未だ不完全)、高すぎるといったところ、2ドルに下げてきたとのこと。てっきり20ドルだと思って20ドル紙幣を渡して、車に乗り込んだら18ドルお釣りがきてビックリ。15ドル払って購入した油をさしたら新品のそのもの。そして、これは、友人のアラのところへ。カナダ人とは、カナダ社会とはなんて愚かな、、と思ったとの事(今もかな)。ということで、ロバートのミシンを待つ事にした。

帰り際に、広告と混じってIKEAの新しいカタログが入っていたから持っていけという。ちなみにロバートは現在ポーランドに一家で帰国中の友人Zの家に住み込み留守番をここ3週間している。Zが見るかもしれないからいいよというと、ZはIKEAなんかで死んだって買い物しないから大丈夫だといわれた。なるほどそれは確かだ。私も愚かな人種の一人かな?ハハハ。

"Liar's Poker", Michael Lewis, を読む

生後3週間の子猫2匹、生後6ヶ月のクロネコ2匹、トラ猫2匹の里親を友人が探しています。

マイケルルイスは証券会社全盛時代のソロモンブラザーズに新入社員の120人の一人として入社。ウォールストリートのナンバーワンが崩壊していく姿を内側からユニークに描く。新入社員研修というものが何週間にもわたって行われる。1列目はハーバードビジネススクール出身、そして、その他のアイビーリーグ出身者、一番後ろはその他モロモロ大学出身者で講師たるトレーダーをからかう不真面目者。さて、日本人はどこに座るかというと、一番前に5人全員陣取る。そして、ひたすら寝ているそうだ。ソロモンブラザーズは東京での拠点強化を図っていた頃なので、まぁ、日本人研修生はお客さま。または、英語がわからないから寝ているのか、日本人特有の寝ているようで実は聞いているという姿勢なのか、話題になっている。不真面目な最後列のやつらは日本人リーダー格のヨシという人物が何分で眠りこけるかかけたりしている。

会社の崩壊はコーポレートカルチャーの崩壊でもある。ソロモンブラザースが、以外や以外、義理と人情から始まったのには驚き。そして、その後は派閥としてあれよあれよと崩れていく。稼ぎのいいトレーダーはみな巨大で、目をそむけたくなるくらいひたすら食べているそうだ。。。

ビジネス関係の本を読むのはヒジョーに珍しい。

"The Shadow of the Sun", Ryszard Kapuscinski, を読む

曇り晴れ、20度。水曜日には32度に上がるとの予報。夜には既にこおろぎの声

カプチンスキーはポーランド人の海外特派員。50年代後半のガーナの独立から始まるアフリカの年の60年代を自分の目と足で実体験し、その後のウガンダのアミン、ルワンダの民族紛争、エチオピアの飢餓という世界的にセンセーショナルなニュースを彼の視点で分析。そしてその分析は冷静で説得力があり、見せかけの偏った報道しか目にしない者にとっては目からうろこ、また偏った報道しかしない記者にとっては穴があったら入りたいといった感じだと思う。

文章は時にしつこいくらいに形容詞が並ぶけれど、これはヨーロッパ言語では表現できないがための努力の末のもの。本人は、アフリカの奥の奥に現地人と車で入り込み、生と死をわける体験を何度もしている。そして、道路事情といえるかどうかだけど、アフリカでのドライブを迷路と度々表現する。また、植民地時代、奴隷制、東西冷戦がアフリカに残したものを非難するのではなく後戻りのできない史実として受け止め、その史実がアフリカでのものであるが故にどう現在に至っているかを語る。

大学でエチオピアの最後の王ハイルセラシの最後を書いた「エンペラー」を読まされたのを覚えている。この本も、カプチンスキーによってかかれたものだったと知り、もう一度読んでみようと思っているところ。

最近は仕事が忙しくてちょっと困っている。。。

Sunday, August 05, 2007

ポーランド人ジヴィの人生観

8月5日。30度。連日32度を超える。水曜日は36度。木曜日の夜中雷雨。

ポーランド人の友人ジビィは、高校をでてドイツのタイヤ工場で働きドイツ語を覚える。その後、リビアでタイヤ技術指導員として働き、アラビア語もマスターする。そして、リビアの寂寞とした土地で、おいしい野菜を食べるがために家庭菜園感慨農業を実施し、名物男としての名をあげたらしい。そして、ここカナダでも同じである。昼間は自前のオンボロトラックで運送業。小川の流れる広い敷地にある自宅に帰ると、日が暮れるまで、家庭菜園の手入れと、馬、あひる、うさぎ、にわとり、はとの世話に時間を費やす(プラス猫7匹、そして犬のディンゴが走り回る)。

ジビィの家族といると、彼(彼ら?)の明確な人生観を知る事が出来る。つまり、人間の営みとは何かという質問に、ジビィは的確に答えることが出来るのである。ジビィのいう人間の営みとは、次世代を担う子供を産み育て、自分の食は自分で汗を流して確保する、汗を流して得たところに喜びがあるというもの。この人達の食卓に大量生産コスト削減のために生産された食べ物は見られないし、遠く何万キロも離れたところから収穫(生産)された食材は並ばない。全てローカル産(自前)のものである。本来の食べ物の味を知っている彼らに見せかけの食材は通用しない。。本当の贅沢とはこうした生活にあるのではないかと感じる

Sunday, July 29, 2007

またまたグレングールド




7月29日。晴れ、31度。ついに冷房稼動

グレングールドのお墓です。グレングールドの最初のマネージャーだったホンバーガー氏いわく、世界で活躍するピアニストがカナダトロントにやってきて、ホンバーガー氏に会い、グールドの最初のマネージャーだったというと、皆、必ずお墓参りを申し出るそうです。まず、墓地近くにある、グールドの元アパートの部屋で、一人ゴールドベルグ変奏曲を聞き、そして、お墓へ。ロシアのピアニストキーシンもその一人だったとのこと。この写真の場所に、キーシン他、世界に名だたるピアニストがお墓参りにきたと知るとまた感慨ひとしおです。

Saturday, July 28, 2007

Parry Soundへ一泊二日の旅;7月26日、27日

両日とも最高のお天気。

正午のピアノコンサートに間に合うように朝7時に家を出る。木曜日はベートーベンシリーズ。2時のコンサートは、ピアノの前進ピアノフォルテと現在のバイオリンよりも小さめのバイオリンでのベートーベンのバイオリン、セロ、ピアノフォルテのトリオでの演奏。

夜は6時半出発のサンセットディナークルーズ。8時53分に真っ赤な夕日が沈む。1テーブル2~5人で7,8テーブル。ポンポン船みたいな小さな船だったけれど、十分楽しむ。フランスからのご夫婦とそのどちらかの母親もこのクルーズに。お母さんと思われる女性は、ゆうに80歳は超えていると思われる。時々片手に杖をもって歩いている。この彼女、とてもシンプルな黒の木綿で、丸く胸のところにカットの入ったミニのワンピースを着ていた。靴は、白い履き心地のよさそうな靴。私も、80歳を超えても、自然な感じでこんな服を着ることができたら最高だな。。

クルーズ巡りは同時に小島や湖畔に面する高級別荘地巡り。夕日が沈むのをみて、自然を満喫。そして、別荘をみてため息をつくなんて変なものだと実感。

この旅で、私の夏もおわりかな。。

Festival of the Sound(音の祭典)、グレングールドの思い出

7月28日、2時
お昼のコンサートはバロック。バッハのカンタータとバイオリン、オーボエのコンチェルト。

そして2時からグレングールドの最初のマネージャー、Walter Homburger 氏を招いてのインタビュー。ピアノの周りにヒーターをいくつももってきて気温を41度くらいまでに上げてレコーディングしたというグレングールドの寒がりで有名な話。オペラにも興味があり、ピアノで弾いてみては、周りの人に、曲名と作曲家をあててみてというナゾナゾが好きだったという話。また、交響曲で、それぞれの楽器の担当するメロディも正確に覚えていて、ピアノで弾いてみせていたとのこと。そして、なんの曲でしょう?ってやってたらしい。グレングールドがコンサートをやめて、レコーディングだけに専念すると決断したとき、マネージャーのホンバーガー氏は、そんなことしたらレコードだって売れないよと忠告し、大反対したらしい。そして、彼の心配をよそに大ヒット。その度に、グレングールドはホンバーガー氏に「なんで電話していると思う?」と、茶目っ気交じりで電話してきたという。西側諸国からの最初の演奏家ということでソビエトに行ったのが59年。モスクワ、そしてレニングラード。コンサートは、連日超満員で、宿泊先としていた大使館、領事館前には、連日グレングールドの演奏のニュースを聞いた人達の人だかり、館内は花束でいっぱいになっていたということを、まるで昨日のことのように話していた。

インタービューの途中、レニングラードでの演奏の録音が流れ、また、運営陣かつクラリネット演奏家としてこの祭典に参加しているJames Cambell が、カナダ国営放送の音楽番組で、まだ学生時代に競演したときのものが写しだされた、その時の緊張と興奮、そしてナゾナゾクイズを語ってくれた。

会場は、湖に面した部屋で、150人くらいいただろうか。殆どが退職老夫婦で、かつ音楽に造詣が深い様子の人々だった。インタビューが終わって、駐車場にいたところ、このホンバーガー氏が一人で会場からでてきて、自分で自分の車に乗り込み去っていった。我々も一路トロントへ。明日の土曜日はゴルフ大会である。

Festival of the Sound(音の祭典), Parry Soundに行く; ゴールドベルグ変奏曲ライブを聞く

7月27日(金)晴れ、28度、日陰は心地よい

グレングールドのお墓参りをきっかけに今年がグレングールドの生誕75周年である事を知った。そして、トロントから約北に240Km、ジョージアン湾に面するパリーサウンドという美しい別荘地でグレングールドにちなんだ企画のある事を知り、1泊2日で車をとばす。めざすは、金曜日の10時半からのモーニングコンサートのゴールドベルグ変奏曲。カナダ人ピアニストソロの予定が、ニュージーランド弦楽四重奏団との競演。ピアノソロを期待していたので最初残念に思ったけれど、とても感動した。合奏あり、ソロありで、1時間半の演奏。最後のアリアはグレングールドの録音が流れた。ピアノの演奏を聞いて、なんて難度の高いテクニックを要する曲だろうと。。聴衆もかなりの集中力を必要とし、終わって興奮と感動と疲労感(カナ)。。NZ弦楽四重奏団はゴールドベルグ変奏曲のレコーディングもしているとのこと。最初のアリアでは、弦楽特有の滑らかさで、物足りないかなぁと思ったけれど、中半から後半にかけて、アレンジがとてもよく感動。

自分がゴールドベルグ変奏曲に挑戦してみようと思ったことがなんて向こう見ずなことだったかと実感する。

会場は、300人くらい収容できる室内楽に最適の音楽堂。7割は退職して夏の間パリーサウンドの別荘地に滞在していると思われる老夫婦。残りがその子供夫婦と孫がチラリといった感じか。この祭典は毎年23日間程の期間行われており、今年はなんと26周年目とのこと。リゾート地での音楽会ということで定着しているらしい。街のカフェに入れば、先ほどのバリトンとソプラノの歌手が家族とともに店に入ってくるといった感じである。

Friday, July 20, 2007

モントリオール、オタワの旅:首都オタワ

18日、曇り。激しい雨、雷

朝8時におばの家を出る。8時40分ホテルピックアップ。モントリオールで有名な24時間営業のベーグル屋に立ち寄り、レーズン、セサミ、プレーンのベーグルを2個ずつ買う。ユダヤ人街にあるこの小さなお店では、釜からベーグルがどんどん焼かれてでてくる。店内は、小麦粉の袋の山と、釜と、冷蔵庫、そして50年前から使っていると思われるレジのみ。1957年創業ということで今年は50周年という張り紙があった。そして、一路オタワへ。モントリオールからオタワというルートは走った事が無いので、ちょっと楽しみ。途中激しい雷雨にみまわれる。モントリオールから行くと、オタワを東から入ることになる。川沿いのドライブウェイを走り、航空博物館へ。総督邸をすぎ、首相官邸、日本大使館と贅沢な敷地にある大使館どおりを走り抜け、オタワ市内へ入る。パスタで腹ごしらえし、国会議事堂へ。ガイドツアーの待ち時間、議事堂の庭正面、裏を散策。あいにくの雨、でも、時計台タワーからの眺めはやはりいい。

オタワを5時半出発。通勤ラッシュにもまれ、オタワ川にそったプロムナードを走り、オタワを抜ける。川沿いに続く広い公園は、サイクリングに最適である。ナイアガラのワイナリーのドライブに少し雰囲気が似ているカナ。オタワは首都としての風格をそなえ、かつ市民が家族で集える緑の敷地がいたるところにある。土地の高低のあるオタワは冬は市民のスケートリンクとなるリドー運河が流れ、この運河は、今年、ユネスコの文化遺産に指定された。帰りは、裏道をとって、キングストンまででる。この裏道ドライブルートはリドー運河の延長ルートに沿って走る。ボートがあれば、オタワからずっと運河をたどってキングストンに出る事が出来ると昔カナディアンジオグラフィックで読んだ。一度やってみたいなぁ。

帰り道の高速運転は、花王石鹸のトレードマークそのものの三日月を正面に見ながらのドライブ。夜11時半に帰途につく。

思いがけずの一泊二日の旅。一人だったら2泊はしていたと思う。誰かのガイドをする時は、自分も楽しめるように、定番観光ルートプラス自分の行った事の無いところをこっそり入れる事が秘訣である。

モントリオール、オタワの旅:美しい街モントリオール

17日晴れ、気温34度。日に焼ける。早朝5時半に家を出る。

日本人一家をつれて急遽一泊二日のモントリオール、オタワの旅へと車で出かけた。往復約1600kmの旅。昔住んでいたモントリオールということで不案内ではないものの、モントリオール市内の運転はかなりあらっぽい。結構チャレンジングな運転である。去年来た時に気に入ったフレンチカナディアン系地区の美味しいカフェでランチ。モンロワヤールの山の上からのモントリオール市内展望。そして、初めて、車でヨーロッパのたたずまいの観光地区、オールドモントリオールに入り込んだ。ノートルダム教会を見て、のんびりと川沿いの広い公園を散策。恋人達が木陰で、重なり合って涼んでいた(?)。友人ご夫婦に「どお、あんなふうにして涼んだら?」と勧めたところ、ご主人は「イイワ」の一言、奥さんは「余計暑苦しい」でした。

夜は、お友達一家をホテルにチェックインさせて、私は、モントリオール郊外に住むおばさんのところに泊まる。5月末にトロントで会っているものの、一人住まいなので、とても喜んでくれ、夕食もご馳走を用意してくれた。夜は、昔話とオペラの話。この間亡くなったオペラ歌手ビバリーシルズの話に花が咲く。

モントリオールは本当に綺麗だ。トロントが大都市で、最近はおしゃれになってきたとはいえ、全く魅力を感じない。昔のルームメートだったナタリーの妹ベロニックに会いたかったけれど、バケーションということでモントリオールを不在にしていた。ベロニックはモントリオール交響楽団でビオラを弾いている。4月のカナダ横断演奏会で近くに来たときに、会場にお花を届けたところ、とても感激してくれた。ルームメートだったバイオリニストのナタリーはアリゾナにいるとの事。ナタリーとの連絡はまだとれない。

Sunday, July 08, 2007

Lost in the Middle, Malcolm Gladwell, を読む

予報は外れて雨。夕方から晴れ、ムシムシ。久しぶりに一日雨の音を聞く

"Brown Face, Big Master"の序文で、マルコムが1998年5月ワシントンポストに書いた記事があることを発見。早速オンラインで読み、異人種間結婚により生まれたマルコムの以外な内面を発見する。

マルコムは、英国人の父親のグラハムを盲目ともいえるくらい全く社会的偏見のない人物と評する。それ故、人種、社会的地位、国籍等関係なく、誰とでも知り合いになるという。ジャマイカ人の母親は見かけの違いは問題じゃないのよと明言する力を持つ人物と評する。そして、自分はその両親の両方の才能も持たずに、揺れ動いていると。

この記事を読むまで、マルコムもこの両親の才能を兼ね備えているとばかり信じていた。カナダの田舎で、人種差別に会わなかったのは確かと思うが、彼自身、白人の中にいると、自分の西インド諸島人の血を感じ、西インド諸島人の中にいると、自分の白さを感じるという。理論上分類学的観点から、異人種間結婚により、新しい人種のカテゴリーを生む事になるわけだが、かといって、その基礎となった人種の履歴を抹消できるわけではないと。中学高校時代、マルコムは中距離の選手で、当時、西インド諸国からの移民がオンタリオ州に大量にやって来た時期と重なる。州大会に行くと、今までに見たことの無い沢山の黒い顔の選手達をみて、とても親近感をもったという。そして、ついに、田舎の彼の陸上チームにも西インド諸国からの高飛びの選手が現れる、そして、ある日突然、予期せずして、「お前っていったい何なんだよ?」と聞かれ絶句したらしい。高校時代に一時アフロの髪型にしているのはこうした背景もあったのかもしれない。

マルコムは、どちらかというと父親グラハムの才能を持っていると思っていたが、どちらかというと、繊細な少女期を過ごした母親により近いように思えるようになった。

マルコムの両親の1950年代後半の異人種間結婚は、南アフリカでは、アパルトヘイトが猛威を振るっていた時代である。今でこそ、異人種間の結婚は日常茶飯事となりつつあるが、それでも白人と黒人の結婚は、白人と黄色人種のそれよりも、また白人と黄色人種の結婚は、黄色人種と黒人のそれよりも、社会的にまだ複雑であると思う。

高校時代に一時アフロの髪型にしていると上記に書いたが、その後その時期は明確ではないが、97年に1作目の「ティッピングポイント」を出版したときの初版には、保守的なとても短い髪型での写真が載っている。そして彼の2冊めBlinkの執筆にとりかかる数年前あたりというから2000年か2001年あたりから、再びアフロの髪型にしている。おそらく、この時期に母親ジョイスが信仰の意味を理解したように、マルコムも自分のアイデンティティを確立することができたのではないかと思う。

そして、今や、その風貌がカリスマ的なイメージを作り上げている事は間違いない。

Saturday, July 07, 2007

Brown Face, Big Master, Joyce Gladwell, を読む

晴れ、気温31度。明日は36度の予報

私のお気に入りのマルコムグラッドウェルの母親の自叙伝。1969年に初版が出ている。マルコムは、「僕の一番好きな作家は母親のジョイスグラッドウェルです。」と明言している。タイトルのBrownFaceはジャマイカ生まれのジョイス自身のことで、BigMasterはジャマイカで神の事を意味する。 植民地時代のジャマイカに生まれ育ち、英国人男性と結婚したジャマイカ人女性が、終始神の存在を問いかけ、信仰の意味を探る。そして、そこから、知識人として、女性として、そして母親としての自立を見出す。この自叙伝は3男のマルコムが生まれてまもなく執筆された。

植民地時代の中流階級のジャマイカで生まれ育ったジョイスの両親は教師でかつ牧師である。中流階級といってもお手伝いさんのいる生活は、私としては、それ以上の環境という印象をもった。ある意味で当時としては温室育ちの幸せな少女時代を過ごしたと思われる。英国のカリキュラムをそのまま実施する寄宿制の学校に送られ、白人、黒人、黄色人種のいる環境で育つ。ある日図書館で百科事典に目を通していると、ネグロ人種の劣等性という記載に出くわす。心に違和感を覚えながらも、静かに百科事典を閉じる。そして、その数年後、ロンドンで、その間違った社会通念に直面しそれがどういうことなのか実体験することになる。

終始、ジョイスは神の存在を問いかける。神が存在するのであれば、何故、試練を与えられるのか、と。そして、十字架は何を意味するのかと。そして、神は全知全能ではなくて、人々の苦しみを救えないがために、十字架を背負っているのだと理解する。これは、私にとっても明確な結論を示してくれた。

信仰をもつということは大切な事であると思う。残念ながら、私に信仰はない。無神論者であると思う。数年前にアラノンというアルコール依存症の家族の集まりに参加したことがある。集まりの目的は、お互いに傷をなめあうのでも愚痴をいうのでもなく、自分を見つめなおす事により、アルコール依存症の家族と対話していくというものである。宗教とは関係してないといいつつも、その根底にはキリスト教の精神が流れており、数度のミーティングで挫折した。神の存在、神の救済、というものが全く理解できないからである。熱心なイスラム教信者の同僚は、宗教について学べば学ぶほど、神の存在を益々信じるようになるよという。そして、信仰がないということは非常に気の毒なことであるといわんばかりに、私の無信仰に同情し、今からでも遅くないよ、力になるよと激励してくれる。医者になったいとこの一人は、彼の父方の父親から、医者になるにあたり、信仰をもつべきではないか、と助言されたと聞いた。彼はその後信仰をもっただろうか。

カリブ海文学、キリスト教信仰の分野で紹介されている。植民地時代の中流家庭に育ったジャマイカ女性の貪欲なまでの知識欲と、異国での生活適応、そして人種差別。是非、日本の女子大生にも読んでもらいたいと思う。

Sunday, July 01, 2007

ピアノのお稽古とグレングールド

カナダデー。明日は祝日。晴れ23度、風があって涼しい
ピアノの先生をしていたという奥さんと知り合い、ピアノのお稽古をした。今回二度目。前回のレッスン後の上達具合のチェック、というよりまだ不安な部分の確認。やはりまだリズムは崩れる。実はここ数ヶ月、ひょんなことから、バッハのゴルドベルグ変奏曲の楽譜を見つけ、弾いてみようという気になって始めた。最初のアリア、メロディーはよく知っているものの、いざ弾こうとすると、装飾音がいっぱいで指使いも難しく、難航。そこで、この先生に登場してもらった。高齢者を対象にピアノを教えていたということで、強引に教えないところがうれしい。あくまで本人の意思尊重。右手左手と弾いて、本人満足。そこで、「じゃぁ次は両手で弾いてみましょう!」なんて強気な指導をしてくれないところが、才能のない気まぐれピアノ愛好家には格好である。そしてお茶でも飲んでおしゃべり。作品が完成するまでには永遠の時間がかかるかもしれないが、自信喪失することは無いと思われる。でも、しばらくバッハはやめて、モーツアルトのソナタにしよう。。。と思い始めている(先生も楽譜を貸してくれたし。。)

ということで、今日は、以前から行きたいと思っていたトロント市内ど真ん中、贅沢な敷地内の霊園に眠るグレングールドのお墓参りに一緒に行ってきた。最近誰かが供えたと思われる一輪のバラと青いリボンの数本のバラの花束がアリアの音符の石碑の上にあった。続いて、カナダ放送局内グレングールドスタジオ前にあるベンチに腰掛けるブロンズ像のグールドを見る。オタワの公文書博物館に確かグールドのピアノの椅子が納められていたと思う。次回オタワに行ったら見てみようか。。。

Tuesday, June 19, 2007

ウルフォウィッツ世銀総裁と穴のあいた靴下

晴れ、午後激しい雷雨。気温28度。
最近は、側近の辞任と自分のガールフレンドの厚遇問題で、一段と極地においやられているウルフォウィッツ世銀総裁。The New Yorker 4月9月号におもしろい記事がある。彼はイスラム世界への感心が高く、イスラム諸外国を訪ねると、必ずイスラム寺院等に足を運ぶ。もちろん、アラビア語も理解する(他、仏、独、ヘブライ、インドネシア語)。父親は著名な数学者で、コーネルやコロンビアで教鞭をとっていた人であった。ウルフォウィッツ氏自身も純粋科学で身を立てる予定が、大学院時代の仲間の影響で、政治の道へ。ほんの1年の寄り道のはずが、今日にいたってしまう。1年政治を勉強したいと父親に言ったところ、父親はこれで息子の人生も終わったと思ったという。さて、その寺院を訪ねたときにちょっとした事件が。靴からスリッパに取り替え、そのスリッパをモスクで脱いだときに、両足の靴下の親指に大きな穴が!そして、ここで国際機関で奮闘する日本人、世銀欧州中央アジアの副総裁であるShigeru Katsuという人物が登場する。即座に、上司を守るべく、記者達と総裁の間に入り込んだが時遅し。しっかりと穴のあいた靴下の写真をとられてしまった。翌日のトルコの新聞は、穴のあいた靴下の総裁、頭取が靴下に穴、といった見出しで写真を掲載したとのこと。

一昔以上前になるが、北米人が日本人とビジネス提携するのに躍起になっていた頃、そのマニュアルの中には、お辞儀や名詞の受け取り方のほかに、清潔な穴のあいてない靴下を履いていること、というのが明確に記述されていた。私は、それプラス、お得意のカラオケソングを持参することということを付け加えたい。

Saturday, June 16, 2007

サラダ記念日ならぬマルコム記念日

晴れ、気温30度
友人から、昨日ウォータールー大学の卒業式で、マルコムに名誉博士号が授与されたから、実家にいるはずよ、との電話を受け、マルコムの家までジャスミンを連れて出発。そしてとうとう念願のマルコムに会う事が出来た!

そこには、素顔のマルコムがいて、彼の書くものからの印象とも、ビデオクリップで観る講演のときの印象とも違うマルコムがいた。そして、それは、2年前の地元新聞記者の記事から受けた印象と同じマルコムでることを改めて認識した。最初、どちらかというとマルコムのご両親との会話で話がはずみ、マルコムはそばで聞いていた。優しく賢明なご両親のもとで育った3人兄弟の末っ子。そこには、少しシャイなマルコムがいた。最近あまり記事を書いていませんねと聞いたところ、3冊目の本を執筆中との事。2009年出版予定だけれど来年早々には出来上がるらしい。2冊目Blinkを出版したときに、3冊目の執筆は急ぐ必要も無いからとコメントしていた事を指摘したところ、アイディアが浮かぶと書く事が出来るんです、と答えてくれた。本の詳細について知りたかったけれど、楽しみにしているという事だけを伝えた。本を書くという作業はかなり孤独なことである印象を受けた。

裏庭での会話は20分ほどだっただろうか。帰りはマルコムとマルコムのパパ、そして生後7か月の犬のグーグルが見送ってくれた。

次はいつ会えるだろう。

Wednesday, June 13, 2007

A Widow for One Year, John Irving

連日32度。晴れ。

映画名はThe Door in the Floor 邦題は「未亡人の一年」。家族の悲劇を抱えて生きる中年既婚女性マリオンと高校生エディとの出会いから始まる。実は、是非とも高校生以上の女性に読んでもらいたいと思っている。というのは、ここに、恋人を見きわめる一つの判断基準があるからだ。マリオンの娘ルスが成長してからも覚えている父親との会話がある。それは、絶対にオートマしか運転できない男を信用するなということと、どんなことがあっても脇見をして運転する男とはつきあうなという会話である。助手席に座る彼女と話をしていても、彼女に向かって話すような男はダメということ。私はこれはとても正しいと思っている。

Sunday, June 10, 2007

The Space between Us, Thrity umrigar、とジャスミンと菜菜子の関係

晴れ、気温26度。
確か作者はアメリカ在住のインド人女性。階級社会に存在する役割分担を明確に認識しながらも、ある事件から、その壁を乗り越えることが可能かもしれないという錯覚に陥ってしまう(つまり、話せばわかってもらえるのでは、というナイーブな感情をもってしまう)下層階級の老婆の家族と老婆が仕える上層階級の家族の話である。そして、それは、希望をもつことも許されず、永遠に埋めることの出来ない空間なのである。

この上層階級の家族はゾロアスター教信者。そういえば、歴史の教科書で、そんな宗教の誕生を聞いたなっと思い、パキスタン出身で熱心なイスラム教信者の同僚にゾロアスター教について聞いてみた。なんでも、医者とか弁護士とか本当にごく一部の階層の間で主に信仰されているらしい。この彼が、何かの折に、Life is not fair. といった。ふと、自分を振り返って、思いのままに事が運ばない事も多々あるけれど、人生が公正平等じゃないと感じた事は無いなぁと思った。かなり楽観的である。

ここしばらく、お友達夫婦とジャックラッセルの菜菜子ちゃんが仮住まいしている。体重35キロのシェパードジャスミンと体重5キロくらいの菜菜ちゃんの関係は、まさしくこの本のタイトルに匹敵。もう、威嚇することはなくなったものの、どうしても1.2m上、お互いの距離が狭まることがない(っと話がかなりそれてしまった)。

Friday, June 08, 2007

The Cider House Rules, John Irving, 小説と映画

小説に感動し、映画はどんなものかと図書館からDVDを借りて見たことがある。小説も映画の脚本もジョンアービングによるものだけど、2時間という映画の制約上、全く異なる話となって映画化されている。ジョンアービング自身、インタビューで、映画という特殊な条件下では、登場人物を削除したり、話の変更を余儀なくされると語っている。特に彼の小説は、ページ数にして500から600ページ、そして、だいたい30年から40年の時間が経過する。この時間を2時間に集約しようとするとどうしても異なる話にしなくてはならないのは致し方ない。小説ではメロニーという孤児院時代一緒に過ごした女の子の存在が大きい。しばらく空白の時間をおいて、小説の最後の最後に、そしてなんとも絶妙のタイミングで、メロニーが登場する。それは、小憎らしいくらいに巧妙な筋書きで、溢れる涙をとめようがないくらい泣かせる。サイダーハウスルールを読んだあと、続いて、A Widow for One year (映画The Door in the Floorのベースとなったもの)を読んだ。映画を見てみたい衝動にかられることもあるけれど、おそらく観ないであろうと思われる。

Wednesday, June 06, 2007

最近食べたもの

昨日の夜の気温5度、今日の最高気温18度、明日は31度の予報。

今日食べたもの:手作り桜餅2個、肉団子もち米巻4個、アボガドレモンしょうゆかけ、納豆、合挽き肉キムチ、にんじんゴマドレッシング和え、玄米混じりご飯2杯、お味噌汁、アスパラトマトピューレ和えソース、芋焼酎
昨日食べたもの:塩焼そば、にんにくオイスターソースアスパラ、にんにくトウバンジャン味焼き油揚げ、春巻き、豆腐ワカメスープ、スペアリブ塩胡椒味、プチシュークリーム
おととい食べたもの:和風・洋風スパゲティ、オニオンスープ、さいころステーキ、赤・黄ピーマンタマネギ酢味ドレッシング、ソーセージ・クリームチーズサクサクパン、メイプル型サブレ2個
日曜日に食べたもの:マーボー豆腐、ブロッコリー・カリフラワー・厚揚げ中華風、玄米混じりご飯、中華スープ、枝豆まじりグリーンサラダ
金曜日に食べたもの:玄米まじりご飯、お味噌汁、平成シャケ、カリフラワー、キュウリといわしの和え物、サラダ、赤ワイン、手作り水羊羹、(翌日手作りアンパン)
5月31日に食べたもの:ザルそば、焼厚揚げしょうが醤油              
スバラシすぎる!

Thursday, May 31, 2007

Water for Elephants, Sara Gruen, を読む

晴れ、ムシムシ、29度。雷雨の予報は外れ。
作家は、カナダオンタリオ州ロンドンの出身。現在はシカゴ郊外に住んでいるとのこと。
アメリカ大恐慌時代の田舎サーカス団の話で、英語を理解しないが、ポーランド語を理解するローズという象がでてくる。主人公の Jacob Jankowski のイメージが、何故だか、タイタニックの頃のレオナルドデカプリオと重なり、自分の中で、映画化しながら読み続けた。残念ながら、このサーカス団の看板スターに抜擢したい女優は思い浮かばず。人生のいたずらあり、恋あり、愛あり、裏切りあり、友情あり、そして老後の生活描写あり。登場人物の個性がそれぞれ強烈で、ハリウッドで映画化されてもおかしくないストーリーだと思った。でも、この印象は、いささか呆れながら読んだダヴィンチコードとは大違い。ダヴィンチの舞台はパリ、ルーブル、そして、わずか1週間かそこらのあれよあれよのドンデン返しの連続。それよりずっと読ませるものがある。多分、時代背景と登場人物によるところが大きいのだと思う。そして、なんとも予想外の結末。個人的には、この結末は大好きである。最後にキスの画面(キスの描写)で終わるハリウッド映画のダヴィンチコードとは違います。ちなみに、ダヴィンチコードの映画は見ておらず。確かカンヌが試写会だったように思うけれど、その時、トムハンクスのヘアスタイルが不評との話を聞いた。なんでも日本の総理大臣のスタイルを真似たらしい。

Monday, May 28, 2007

Malcolm の講演

5月27日、曇り、激しい雨、21度くらいかな。マルコムのNYコンフェレンスのビデオを一通りみる。オープニングの講演者はマルコムということで、やはり人気のジャーナリストである事を実証する。Music Intelligence では、マルコムが、去年のNYフェスティバルのときの講演(The Formula という題名で9月のニューヨーカーに掲載されている)でとりあげたPlatinum Blue との対話。これは、音楽のヒット性を分析するソフトウェアを開発した会社である。例えば新曲を、メロディー、リズム等の角度から数式化し分布図に位置付ける。そして売れ筋のクラスターとの位置関係から、そのヒット性を予測。その結果「いくら宣伝してもダメですよ」ってな感じで、プロデューサーに助言できるというわけである。これを、映画でもやろうとしている別のソフトウェアの話を去年していた。彼の講演はかなり素人くさい。書くものは、大学の博士論文形式で、起承転結。かなりの数の文献リサーチ(サイコロージーからマーケッティング等)とその分野の人物への直接インタービューで形付けられている。一方、目の前にいる聴衆の反応を見ながらの講演は、やはりうけることも考慮せねばならず、そこに彼らしい努力のみられるところが、なんとも微笑ましいのである。

What we talk about when we talk about love, Raymond Carver, を読む

5月26日、晴れ、25度。花キンは芝刈り。蝦に刺される。村上春樹がレイモンドカーヴァーの詩集等幾つか翻訳していて、読んでみようかという気になった。村上の翻訳では、「愛について語るとき我々の語ること」となっている。カーヴァーの詩集Where water comes together with other water「水と水とが出会うところ」に続いて読んだもので、短編集。村上春樹の短編になんとなく雰囲気が似ている。日常のたわいも無い情景の中で、なんとなく説明のつけようのないというか、つける必要の無い会話とか出来事が書かれている。74年に出版されたこの短編集は、コンテンポラリー文学の真髄なんて、新しい分野を切り開いた草分け的存在のように評されている。去年だったか、週刊誌ニューヨーカーで村上のスパゲティが題材となる短編の翻訳が掲載されていた。読んだ感想は、なんだかなぁ~というもの。カーヴァーの短編集もふーんって感じ。やはり、個人的には、もっとストリー性のあるものが好みかもしれない。たとえば、やはり村上も翻訳しているジョンアービングとかね。カーヴァーの詩集のほうは、これも散文的な詩集なんだけど、詩集を読むのって難しいって感じた次第。

Malcolmとの出会い

5月25日、晴れ、30度。     マルコムは実はこの近くの出身で、2005年の6月11日付けの地元新聞が彼の特集をくみ、彼の両親も訪ねて紹介されたのがきっかけ。記事を読んで、スバラシイ!と直感。そして、彼はホモに違いないとかいう私の同僚達のイイガカリも無視して、ご両親経由のファンレターも出した。その後は、かれのhpから過去の記事を読みあさり、時々Eメールを送ったりする。一時は、彼に立派な英語でファンレターを書けるようにと、文法、単語にも気をつけかなり精読した時期もある。周りにも、かなり強引に読んでーと薦めたが、読んでくれたのは、2人くらいかな。地元記者にも感謝のメールを送り、その後、何度かのメールでの交流。彼は、この記事でカナダ新聞の何かの賞にも推薦されたくらい、受賞は逃したけれど。その後は、あることから、ご両親経由で本にサインももらい、彼の自宅も発見(そこが、自宅と信じている)。時々、ジャスミンとのドライブで通ったりするけれど、まだ、誰も見かけたことなし。ふん、サインよりも、直接会いたいのよ、と思ったけれど、時々ページを開くとなんともニンマリする。実は数週間前、マルコムからメールの返信があり、嬉々としたのも束の間、メールを開いて、絶対にこれはマルコムの書いたものではないと判断し、マルコムはそんな書き方しない、マルコムじゃないでしょって返信。その後は音沙汰なしであーる。

Malcolm Gladwell のおっかけ

5月23日。2005年6月11日以来、マルコムグラッドウェルのおっかけっぽいことをしている。マルコムはニューヨークの週刊誌、The New Yorker に定期的に記事を書くジャーナリスト。2000年に出版したティッピングポイントが世界的なベストセラー、そして2005年に2冊目の「Blink]を出版し、元アメリカ国務長官だったコリンパウエルらと席を並べて講演をするくらいの売れっ子になっている。彼の講演会への参加費はなんと2-3,000ドル。参加できるわけなし。ということで、毎年秋に行われるニューヨーク市民向けのニューヨーカーフェスティバルでマルコムの講演を聞きに行きたい(というより会いたい!)、と願っているけれど、これが競争率が激しくて、去年も即座に売り切れ。なんたって、これは格安25ドルという参加費。。今年も10月にやってくるけれど、ダメだろうなぁ。私のマルコム追っかけ記は次回の日記ということで、とりあえず。興味のある方はビデオクリップをみてみて。これは、今月開催されたニューヨーカーコンフェレンスからのもの。http://www.newyorker.com/online/2007/conference/conference2007でGenius2012とMusicIntelligence2012で。これであなたもマルコムのファンに!!

「死と生をめぐる思索」、香原志勢、を読む

5月22日、この週末はビクトリア女王のお誕生日で3連休。畑の準備と雑草とりで手足がイタイ。気温22度くらい。人類学者という立場でGHQでの戦死者の個人識別という仕事と、戦前、戦中、戦後を通しての「死」と「生」の思索。科学者として「死」を客観的に見つめつつ、その時代と家族の「死」を通して「生」を思索する。そして、今老いの訪れの中で「死」の足音を身近に感じている著者。疎開せず東京に残った戦中戦後の混乱期の話は、極限に近いものがある。ありきたりだけれど、高度成長という豊かな時代に生まれ育った自分がなんと幸運だったかと思った。コワイ話かと思ったけれど、さすが科学者。淡々と書いています。最近、晩節を汚さずして生きるという言葉に出会い、つまりどういうことだったっけと考えた。これは、後30分遅かったら、間に合いませんでしたよと言われたという人の手紙にあったものである。また、かれこれ10年前くらいになるが、東京の職場で一緒に仕事をした先生の奥様が先立たれた。その時の先生の手紙に、とってもつらいけれど、頑張って生きていかなくては、と書かれていた。先生自身も脳梗塞で倒れ、障害が残っているのに、その生きぬくことの強い意志を感じ、心から感動したのを覚えている。

走り去ったジャスミン(でも大丈夫)

昨日は、恒例のポーランド人のZの誕生日で、農場散策。ジャスミンとディンゴも元気に走り回り、小川のせせらぎの音に心洗われた1日でした。美しい馬、あひる、にわとり、そして、うさぎだ、ねこだ、と盛りだくさんの家族。今年は、豚の姿焼きではなく、野球のグローブサイズのステーキ。夜は、ギターにアコーデオン、カラオケならぬ、歌声喫茶の雰囲気。焚き火をかこみ、花火をあげたのだけど、音に驚いたジャスミン。ディンゴはそこにいるのに、あれいないと思って見渡すと、お客人の一人が、あっちに走っていってるよって。確かに、ジャスミンのふわふわの後姿が見えるではありませんか。まったく、臆病なんだから、と思ってブラブラ追いかけると、姿を見失ってしまい、納屋に入り込んで、鶏と一緒になっているのかと思いきや、いない。Zも探してくれたら、なんと、道路を渡って、おむかえの家の農地をさらに走り続けるありさま。そうねぇ、焚き火の場所から、300メートルくらいかしら。Zに首ねっこつかまれて、無事一緒に道を渡って帰ってきました。その後は、ずっと首輪につなげられていたジャスミンでした.

Saturday, May 12, 2007

村上春樹「海辺のカフカ」を読む

Moon Palace, Paul Auster の読後、村上春樹の「海辺のカフカ」に移り、読み終える。そして、今日、早速カフカの小説、短編集を図書館から借りてきたところ。「海辺のカフカ」と同時並行して、What we talk about when we talk about love, Raymond Carver。1974年に出版されたもので、村上春樹も翻訳している。One of the true contemporary masters というブックレビュー。確かに日常生活における描写をちょっとした不思議な感覚で書かれているという感じ。短編集で、もう少し読んでみないとなんともいえない。カフカは読めるだろうか。。。。

ウディアレンの映画が好きだ。今日はまたまたScoopを借りて観たところ。Match Pointも英国の上流社会に入り込むアメリカ人が中心人物。Merinda Merinda もよかった。でも、今のところ、マンハッタンが一番好きかな。

新緑が一斉に芽吹いたところ。この週末気温が24度くらいに上がるという予報だったけれど、今日も明日も16度くらいとのことで肌寒い。今晩霜が降りるかもしれないという予報。