Sunday, July 08, 2007

Lost in the Middle, Malcolm Gladwell, を読む

予報は外れて雨。夕方から晴れ、ムシムシ。久しぶりに一日雨の音を聞く

"Brown Face, Big Master"の序文で、マルコムが1998年5月ワシントンポストに書いた記事があることを発見。早速オンラインで読み、異人種間結婚により生まれたマルコムの以外な内面を発見する。

マルコムは、英国人の父親のグラハムを盲目ともいえるくらい全く社会的偏見のない人物と評する。それ故、人種、社会的地位、国籍等関係なく、誰とでも知り合いになるという。ジャマイカ人の母親は見かけの違いは問題じゃないのよと明言する力を持つ人物と評する。そして、自分はその両親の両方の才能も持たずに、揺れ動いていると。

この記事を読むまで、マルコムもこの両親の才能を兼ね備えているとばかり信じていた。カナダの田舎で、人種差別に会わなかったのは確かと思うが、彼自身、白人の中にいると、自分の西インド諸島人の血を感じ、西インド諸島人の中にいると、自分の白さを感じるという。理論上分類学的観点から、異人種間結婚により、新しい人種のカテゴリーを生む事になるわけだが、かといって、その基礎となった人種の履歴を抹消できるわけではないと。中学高校時代、マルコムは中距離の選手で、当時、西インド諸国からの移民がオンタリオ州に大量にやって来た時期と重なる。州大会に行くと、今までに見たことの無い沢山の黒い顔の選手達をみて、とても親近感をもったという。そして、ついに、田舎の彼の陸上チームにも西インド諸国からの高飛びの選手が現れる、そして、ある日突然、予期せずして、「お前っていったい何なんだよ?」と聞かれ絶句したらしい。高校時代に一時アフロの髪型にしているのはこうした背景もあったのかもしれない。

マルコムは、どちらかというと父親グラハムの才能を持っていると思っていたが、どちらかというと、繊細な少女期を過ごした母親により近いように思えるようになった。

マルコムの両親の1950年代後半の異人種間結婚は、南アフリカでは、アパルトヘイトが猛威を振るっていた時代である。今でこそ、異人種間の結婚は日常茶飯事となりつつあるが、それでも白人と黒人の結婚は、白人と黄色人種のそれよりも、また白人と黄色人種の結婚は、黄色人種と黒人のそれよりも、社会的にまだ複雑であると思う。

高校時代に一時アフロの髪型にしていると上記に書いたが、その後その時期は明確ではないが、97年に1作目の「ティッピングポイント」を出版したときの初版には、保守的なとても短い髪型での写真が載っている。そして彼の2冊めBlinkの執筆にとりかかる数年前あたりというから2000年か2001年あたりから、再びアフロの髪型にしている。おそらく、この時期に母親ジョイスが信仰の意味を理解したように、マルコムも自分のアイデンティティを確立することができたのではないかと思う。

そして、今や、その風貌がカリスマ的なイメージを作り上げている事は間違いない。

1 comment:

Anonymous said...

Interesting to know.