Saturday, July 07, 2007

Brown Face, Big Master, Joyce Gladwell, を読む

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私のお気に入りのマルコムグラッドウェルの母親の自叙伝。1969年に初版が出ている。マルコムは、「僕の一番好きな作家は母親のジョイスグラッドウェルです。」と明言している。タイトルのBrownFaceはジャマイカ生まれのジョイス自身のことで、BigMasterはジャマイカで神の事を意味する。 植民地時代のジャマイカに生まれ育ち、英国人男性と結婚したジャマイカ人女性が、終始神の存在を問いかけ、信仰の意味を探る。そして、そこから、知識人として、女性として、そして母親としての自立を見出す。この自叙伝は3男のマルコムが生まれてまもなく執筆された。

植民地時代の中流階級のジャマイカで生まれ育ったジョイスの両親は教師でかつ牧師である。中流階級といってもお手伝いさんのいる生活は、私としては、それ以上の環境という印象をもった。ある意味で当時としては温室育ちの幸せな少女時代を過ごしたと思われる。英国のカリキュラムをそのまま実施する寄宿制の学校に送られ、白人、黒人、黄色人種のいる環境で育つ。ある日図書館で百科事典に目を通していると、ネグロ人種の劣等性という記載に出くわす。心に違和感を覚えながらも、静かに百科事典を閉じる。そして、その数年後、ロンドンで、その間違った社会通念に直面しそれがどういうことなのか実体験することになる。

終始、ジョイスは神の存在を問いかける。神が存在するのであれば、何故、試練を与えられるのか、と。そして、十字架は何を意味するのかと。そして、神は全知全能ではなくて、人々の苦しみを救えないがために、十字架を背負っているのだと理解する。これは、私にとっても明確な結論を示してくれた。

信仰をもつということは大切な事であると思う。残念ながら、私に信仰はない。無神論者であると思う。数年前にアラノンというアルコール依存症の家族の集まりに参加したことがある。集まりの目的は、お互いに傷をなめあうのでも愚痴をいうのでもなく、自分を見つめなおす事により、アルコール依存症の家族と対話していくというものである。宗教とは関係してないといいつつも、その根底にはキリスト教の精神が流れており、数度のミーティングで挫折した。神の存在、神の救済、というものが全く理解できないからである。熱心なイスラム教信者の同僚は、宗教について学べば学ぶほど、神の存在を益々信じるようになるよという。そして、信仰がないということは非常に気の毒なことであるといわんばかりに、私の無信仰に同情し、今からでも遅くないよ、力になるよと激励してくれる。医者になったいとこの一人は、彼の父方の父親から、医者になるにあたり、信仰をもつべきではないか、と助言されたと聞いた。彼はその後信仰をもっただろうか。

カリブ海文学、キリスト教信仰の分野で紹介されている。植民地時代の中流家庭に育ったジャマイカ女性の貪欲なまでの知識欲と、異国での生活適応、そして人種差別。是非、日本の女子大生にも読んでもらいたいと思う。

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